FORTUNA IMPERATRIX MUNDI

 私は次のアルバムの曲のみならず、『ファウストの聖杯』に使う楽曲も作っていた。私のセカンドアルバムは来年発売する予定だが、『ファウストの聖杯』も来年開演する予定だ。
「お疲れ様。このチェリーパイはおいしいね」
 私はプロデューサーのリンジーからの差し入れを食べつつ、タブレット端末でニュースを見ていた。どこぞやの州知事がまたヒンシュク発言で世間を騒がせている。ロクシーのような芸能人のゴシップは単なる「娯楽」以上の何物でもないけど、政治家の暴言失言はシャレにならない。
 スコットから聞いたのだけど、フォースタスの原作小説もまた完成に近づきつつあるそうだ。スコットはフォースタスと連絡を取りつつ、台本を書いているという。小説には少なからぬ濡れ場があるらしいが、さすがに舞台では出来ないので、台本ではストーリー展開に支障がないように削っているそうだ。
 しかし、気になる事がある。シャーウッド・フォレストの看板女優さんが急病で入院したというのだ。私はミヨンママと一緒にシャーウッド・フォレストの事務所に行った。

「ごめんね、アスターティ。どうしても君に頼みたいんだ」
 スコットは言う。私はついに、舞台の出演依頼を引き受けた。
 フォースタスの小説『ファウストの聖杯』はついに出版された。スコットは本を片手に脚本の手直しをしていた。
「実は主人公の果心はあいつに演じてもらうんだ」
「あいつ?」
「そう、作者自身にね」
 私はスコットの話を聞いて驚いた。作者、フォースタスが私と共演するというのだ。
「君とあいつの関係には複雑な事情があるようだけど、俺ら劇団には君らが必要なんだ。どうか、あいつを許してやってくれ」
 私は悩んだ。あの人、フォースタスにどう接すれば良いのか?
「私、むしろあの人が私をどう思っているかが心配なんです。私はあの人を許しています。でも、どう接すれば良いのか分からないです」
 スコットはうなずく。
「君の正直な気持ちをあいつにぶつければいい。あいつは決して君を嫌ってなんかいないんだ」
 私は部屋を出た。廊下では一人のアジア系の女性と一人の黒人女性が待っていた。一人はミヨンママだが、もう一人はこの劇団の看板女優さんではないのか?
「ごめんなさい、アスターティ。私、あなたへのオファーのために仮病を使ったのね。今回は私、裏方に徹するわ」
 シャーウッド・フォレスト所属女優で演出家、ナターシャ・パーシヴァル(Natasha Dinah "Nat" Perceval)。急病で入院していたはずのこの人は、実は何の病気でもなかったのだ。
「まあ、すぐにフォースタスにバレちゃいそうだけど、その時はその時よ」
 …なんて人たちだ。
「ナターシャ、やっぱり最初からこの子を指名すべきだったのよ。こんな、いちいち回りくどい事なんて必要もないでしょ?」
「本当にごめんね、アスターティ」
 正直言って呆れた。最初からハッキリと私を指名してくれた方が良かった。わざわざこんな小細工を使われるのは気分があまり良くない。
 でも、私は決めた。
 私とフォースタスを引き合わせるために仮病だなんて嘘をつくのは感心出来ない。だけど、嘘も方便とはこういう事なのだろうか? 芸能界にはシャレにならない嘘がまかり通っているけど、それらに比べれば大した事はない。
「分かりました。私、頑張ります!」

「久しぶりね、フォースタス!」
 私はミヨンママと一緒に稽古場に入った。ママがフォースタスに声をかける。私はじっとうつむいている。
「よ、よろしく」
 フォースタスはぎこちなく返事をした。劇団員たちが集まり、これから先の展開についての議論が始まった。
 劇『ファウストの聖杯』の主人公、果心居士を演じるのはフォースタス・チャオ。果心の親友、松永久秀を演じるのは劇団主宰のスコット・ガルヴァーニ。そして、二人と奇妙な三角関係になるヒロイン、緋奈ひなを演じるのは私、アスターティ・フォーチュン。演出は例の仮病のお方、ナターシャ・パーシヴァルだ。
 ナターシャは仮病についてみんなに謝り、それから打ち合わせを始めた。みんな真剣だ。しばらく打ち合わせは続いたが、昼食休憩の時間になり、劇団のみんなは次々と部屋を出ていった。私は部屋を出ていこうとするミヨンママの顔を見たが、ママは無言で思わせぶりな笑顔を見せて出ていった。ママだけではない。スコットやナターシャもだ。最後に出ていった人も、ニンマリと微笑みながらドアを閉めた。私たちは、部屋を出ていくタイミングを外した。
 私とフォースタスは、二人きりになった。他の人たちは私たちを置いて、別の部屋に移った。中には、近所のコンビニやファストフード店に行った人もいるだろう。
 何だか時間が止まったみたい。
 しばらく沈黙が続いてから、フォースタスはいかにも思いつめた真剣な表情で私に訊いた。
「俺の事、許してくれないんだろう?」
 フォースタスは心底から悔やんでいる。今まで罪の意識に悩まされていたのだろう。私は首を振り、答えた。
「私、ずっとあなたの事が好きだし、信じている」
 私はまっすぐこの人の目を見つめ、続ける。
「確かに、あの事件で私は傷ついたし、あなたを責めたわ。だけど、それでも私は、あなたが好きなのには変わりない。『計画』なんて関係ない!」
 私は涙を流しながら、フォースタスを見つめた。そして、衝動的にこの人の胸に飛び込み、この人は私を抱きしめた。温かい。
「フォースタス…好き!」
 私はすでにこの人を許していたけど、フォースタスも私を許してくれた。
「ごめん。本当に済まなかった。ありがとう、アスターティ」
「ありがとう、フォースタス」
 この時の私たちは、確かに果心と緋奈だった。



 年が明けて、稽古は地道に進んでいった。三年生に進級した私は一時的に音楽活動を休み、稽古と学業の両立を果たしていた。すでに、アルバムと劇双方の楽曲は完成している。スコットは、私の演技をほめてくれた。
「いやぁ~、アスターティ! 君も飲み込みが早いよ。フォースタスよりも素質があるね」
「ありがとう」
「そういえば、君。もうすぐ誕生日だよね。7月7日」
 そうだ。もうすぐ私の誕生日、アガルタの人工子宮から私が生まれた日。私たちバールは、十分発育してから、人工子宮から取り出される。そのために、アガルタには産婦人科医がいる。フォースタスのお姉さんルシール(私の友人ルシール・ランスロットとの区別のため、私は彼女を「ルー」という愛称で呼んでいる)もその一人だ。
 バールたちを育てる人工子宮には、かつての地球で崇拝されていた大地母神の名前がつけられている。そして私は〈アシェラ〉という名の人工子宮で育てられた。私と同じ人工子宮から生まれた弟アスタロスは、遺伝子上でも私と血のつながりのある「実の弟」だ。
 フォースタスは私に誕生日プレゼントを買ってくれていた。私の名前「Astarte」に引っかけた、星形の飾りのついたネックレス。精一杯の誠意。私はますますこの人が愛おしくなった。
「FORTUNA IMPERATRIX MUNDI」
 運命の女神、世界の支配者。星形のペンダントトップの裏面には、そう刻印されている。

「ありがとう、フォースタス」