虹を見上げて

 私は夏休み中も宿題と曲作りの両立をしていた。すでにいくつかの楽曲のレコーディングを済ましているけど、私はもっと決定的な曲がほしかった。
「Sunflower」
 それが、今制作中の楽曲だ。
 今は天真爛漫に咲いているヒマワリも、いずれは枯れる。だけど、花はたくさんの種を残し、来年もまた花を咲かせる。
 私はデモ音源ディスクを持って、ミヨンママの部屋に向かった。
「よう、アスターティ。元気?」
 フォースティンの下のお姉さん、マリリン・ゲイナーが私に声をかけた。マリリンも私も、このスタジオでレコーディングしている。
「ええ、今日は調子がいいわ」
 私は答えつつも、マリリンの様子が気になった。左の頬に薄くアザがあるのだ。
 ロクシーの恋愛ゴシップの影に隠れて目立たないが、マリリンは同業者である旦那さんに暴力を振るわれているという噂がある。その噂は本当なのだろうか?
 マリリンの旦那さんは、彼女と結婚する前から評判が悪い。女性関係も含めて、様々なトラブルを起こしている。口の悪い人たちは、マリリンを「男を見る目がない女」と揶揄している。
 しかし、マリリンは弱みを見せない。
 マリリンのバンド、フローピンク・アップルズは女性ばかりのグループだ。4人編成で、彼女はヴォーカル兼ギタリストで、リーダーだ。
 そのマリリンが一人の女性を紹介した。
 サーシャ・スチュワート(Alexandra Ingrid "Sasha" Stewart)。20歳くらいの白人女性で、短い髪をピンクや紫に染めている。フローピンク・アップルズのメンバーではない。彼女はスタジオミュージシャンで、ドラマーだ。
「初めまして、こんにちは。あなたの曲を聴いたけど、クールね!」
 ミヨンママが言うには、サーシャは私のレコーディングに参加するだけでなく、コンサートのバックバンドのメンバーでもあるのだ。私は、サーシャに好感を抱いた。
 さらに、ギタリストとベーシストとキーボーディストも紹介された。この三人はいずれも男性で、スタジオミュージシャンだ。
 ギタリストのグレアム・ボース(Graham Patrick Bose)、30歳。長い黒髪を後ろで一つに束ねている。寡黙そうな彼はインド系の血を引いているらしい。
 ベーシストのトニー・ヴァージル(Tony Vergil Allen)、28歳。背の高い黒人男性で、こちらも冷静沈着そうな人だ。どことなく、アガルタのシャンゴ・ジェローム(Shango Jerome)さんに似ている。
 キーボーディストのジミー・フォスファー(Jimmy Phosphor)ことジェイムズ・モーゲンスターン(James Warren "Jimmy" Morgenstern)、27歳。ヒョロヒョロした細身の、いかにも知的な印象の赤毛短髪のメガネ男子。
 この三人を見て、私は三銃士を連想した。

 レコーディングは着々と進んでいる。私はマイクに向かう。負けられない。私は歌う。
 これで、デビューシングル「Sunflower」の音源は完成した。あとは、写真やビデオクリップの撮影だ。
 私は、撮影スタジオに入った。
 様々なイメージカットに、バックバンドのみんなとの演奏シーン。今までの私自身の中のわだかまりが嘘であるかのように、撮影は順調に進んだ。
 私の写真を撮影した写真家は、同時に私のビデオクリップの撮影監督でもある。彼女、ステファニー・シェンカー(Stephanie Schenker)はロクシーの写真やビデオクリップも手がけている。この人の旧名はスティーヴン・シェンカー(Steven Schenker)で、いわゆるトランスジェンダー女性だ。この人は男性時代から写真家や映像作家としての実績を積み上げている。そして、私のレコーディングなどを手がけている音楽プロデューサーのリンジー・シェンカー(Lindsey Schenker)は彼女の妹だが、こちらは生まれついての「普通の女性」だ。
 ステファニーは、髪を鮮やかなオレンジ色に染めている。私は、かつての地球のあるポップスターを連想した。何だか、彼女自身がロクシーみたいなスターに見えるのだ。彼女はロクシーと同じく年齢不詳に見える。二人とも、ドラァグクイーンのように華やかだ。
「あなた、この虹色のベアトップワンピースが似合うわね」
 このボディコンシャスのミニワンピースとサイハイソックスは、お揃いの虹色の生地で出来ている。この衣装はステファニー自身が選んだものだ。スタイリストさんは別にいるけど、私が撮影の際に着る衣装は彼女の意見が大きい。
「虹色はね、人間の多様性を表すものなの。私みたいな性的マイノリティだけのものではないのよ」


 私たちがデビューへの準備を進めているうちに、例の事件の裁判があり、マークは少年刑務所に入った。
 私は仕事と学業の両立で忙しかった。ましてや、来年は高校入試があるのだ。私は、ルシールやフォースティンと遊ぶ機会も減った。家と学校とスタジオと事務所。他に行く場所はほとんどない。仕事のために空いた穴を、自室での勉強で埋める。私はそれで精一杯だった。
 フォースタス。
 今、あの人はどうしているのだろう?
 確かにあの人は罪深い。それに、私だけがあの人に裏切られたのではない。だけど、私はあの人を責める気にはなれない。どれだけ責めたって、時間をさかのぼるのは不可能だし、過ぎた事は仕方ない。
 正直言って、会いたい。だけど、今のあの人も私も、それぞれの事情があるのだ。
 来年、高校入試に合格し、入学したら、私はライヴハウスで歌う予定だ。あの事件さえなければ、私たちはフォースタスに招待状を送りたかった。だけど、今はダメ。その代わり、アガルタのフォースタス・マツナガ博士に招待状を送るつもりだ。
「あ、いつの間に晴れてる」
 外は雨が上がったばかり。見事な虹が空にかかっている。私は、新しい曲を書きたくなった。
 秋空にかかる虹。はかない美しさ。
 私は、頭に浮かんだメロディを口ずさみ、コンピューターに吹き込んだ。このメロディを後で調整して、仮の歌詞を付ける。しかし、今は受験勉強を優先しなければならない。楽曲としての体裁を整えるのは、試験に合格してからにしよう。