荷が重い仕事

 例の舞台、当日。私はミヨンママとモンマス母娘と一緒に劇場に来ていた。ミヨンママは何とか運良く当日券を買えた。ただ、席順の都合上、ママは私とモンマス母娘とは離れた席に座った。
『The Lords of Shalott』、それが劇団シャーウッド・フォレストの演目だ。タイトルだけを見るとアーサー王伝説をモチーフにしているようだが、実際には古代中国の戦争をモチーフにしている。楚の項羽と漢の劉邦という二人の王たちの対決が縦糸ならば、横糸となるのが斉の田横と漢の韓信という二人の将軍たちだった。そして、劇のタイトルの「Lords」とは、この二人を意味していた。どうやらこのタイトルは、日本の文豪夏目漱石のアーサー王小説『薤露行かいろこう』を意識したものらしい。
 韓信は劉邦に仕える将軍だが、彼は策士の蒯通かい とうという男にそそのかされ、先に田横が属する軍に降伏勧告をした酈食其れき いきという老説客を見殺しにしてしまった。劉邦が項羽を破ってからは、韓信はファウスト博士のように破滅し、田横はアーサー王のようにこの世を去った。つまりは、この劇は楚漢戦争を通じて、間接的にアーサー王とファウスト博士の対比を描いている。言うまでもなく、酈食其はフィレモンで、蒯通はメフィストフェレスだ。
 この劇団は地球史の中でも特に知る人ぞ知る題材を好んで取り上げるようだ。この劇のヒーローである田横や韓信といった人たちは、学校の地球史の教科書に載るには知名度が低い。フォースタスの小説の題材もまた、同じようにマニアックなものが多い。

「スコット・ガルヴァーニって人、すごいね」
「すごい、役になりきっているよ」
 ホールを出た私たちは興奮気味で感想をまくし立てた。私たちは、この舞台にノックアウトされていた。
 この劇団の主宰の役者さん、スコット・ガルヴァーニは、悲劇の大将軍韓信を演じていた。韓信は謀反人として処刑されたが、スコット・ガルヴァーニ演じる韓信は史実の本人が乗り移っているかのような鬼気迫る演技だった。
 この劇、マツナガ博士も観たかっただろうな。そう思った。
「よう! どうだ、アスターティ。あいつらはすごい奴らだろ?」
「あ、ドクター!?」
 何と、他ならぬマツナガ博士も来ていた。
「お前ら、スコットに会いたいか? いや、むしろあいつ自身がお前に会いたいんだ」
「え?」
「あいつはお前に頼みたい事があるんだが、とりあえず話だけでも聞いてくれないか?」
 頼みって何だろう? 私たちはマツナガ博士に案内され、楽屋に向かった。ガルヴァーニさん、なぜ私に会いたいのだろうか? あの人はフォースタスの大学時代からの友達だというけど、一体何の用があるのか?
「それじゃあ、あたしたち帰るね」
 ベリンダが言う。モンマス母娘は先に帰り、私はミヨンママと一緒にマツナガ博士について行った。博士は「関係者以外立入禁止」の区域にいる警備員に声をかけ、私たちはその先を通された。
 マツナガ博士は楽屋のドアの前に立ち、インターフォンに声をかけた。
「スコット、俺だ。ヒサだ。アスターティを連れてきたぞ。ミヨンもいる」
「は〜い、どうぞ」
 ドアが開き、私たちは部屋に入った。

「初めまして、こんばんは。ミズ・フォーチュン(Ms.Fortune)。いや、この呼び方は不運の意味の『misfortune』と紛らわしいし、縁起が悪いからアスターティと呼んでいいかな?」
 スコット・ガルヴァーニ。たくましい長身と精悍な顔つきの男性だ。この人は屈託ない笑顔が感じが良い。この楽屋には他にも何人かの役者さんたちがいたが、この人と私たちはちょっと離れたテーブルの席に座っていた。
 ガルヴァーニさんは私たちにコーラなどの飲み物を勧めつつ尋ねた。
「君についてはヒサやミヨンから色々と聞いている。もちろん、俺の友達からも色々と聞いているけど、会いたいかい? 今、うちの裏方として働いているんだけど」
「よせ、スコット。まだ時期尚早だ」
 マツナガ博士がガルヴァーニさんに注意する。この人の友達…フォースタスの事だ。
 確かに私も、あの人に合うのが不安だ。あの人がどういう心境か色々と不安だし、私もあの人に対してどういう態度を取ればいいのか分からないから。
 私は意を決して訊いてみた。
「あの、すみません、ガルヴァーニさん」
「ん? スコットでいいよ」
「私に頼みがあるとドクターから聞いたのですけど、一体何ですか?」
 ガルヴァーニさん…スコットは言う。
「次の演目に使いたい音楽があるのだけど、君に作曲を頼みたいんだ。あいつは原作小説を書いている最中だけど、プロットは大体教えてもらっている。それを元に曲を作ってほしいんだ」
 私はテレビ番組のテーマ曲を提供した事が何回かある。しかし、演劇のために楽曲提供した事はない。なんて荷が重いオファーなんだろう。なるほど、ミヨンママはこの依頼があったからこそついて来たのだ。
「あの…なぜ私にですか? 他にいくらでもふさわしいミュージシャンの方はいると思います」
 スコットは言う。
「実は頼みはそれだけじゃないんだ。ヒロイン役も君に頼みたいんだけど、うちの看板女優と君のどちらが適任か悩んでいるんだ。せめて楽曲提供だけでも頼みたいんだ」
 スコットは私に、問題の劇のプロットを書き込んだメモリースティックをくれた。

 私は悩んだ。楽曲提供だけならまだしも、女優として舞台に立つというのは、あまりにも想定外だ。
 しかも、劇の原作を書いているのはあの人、フォースタスだ。
 私はタブレット端末で問題のデータの中身を読んだ。これには『ファウストの聖杯』というタイトルがついているけど、今日観た劇とは直接関係ない内容だ。これは日本の戦国時代が舞台で、一人の武将と一人の妖術使いと一人の美女の三角関係を描いている。
 フォースタスは今、これの小説版を書いているというが、スコットが預かっているこのプロットとはだいぶ変わっている可能性がある。それともシャーウッド・フォレストはあえてフォースタスの小説とは別の作品として舞台化するのだろうか?
 私は今までストックしていた未発表曲を聴き直している。これらの中からふさわしい楽曲をいくつかピックアップしてアレンジしよう。もちろん、書き下ろし曲もいくつか必要だ。
 物語の主人公である妖術使いの男のテーマ。
 その親友である武将のテーマ。
 そして、彼らに愛されるヒロインのテーマ。
 私は勉学の合間に作業をしている。これでまた、友達と遊ぶ暇がない。しかし、この仕事の依頼は邯鄲ドリームの命運がかかっていると言っても過言ではない。この劇はミュージカルではないという事だが、場合によっては出演者が歌う展開もあり得るそうだ。