フォースタスのキッチン

「よう、久しぶりだな」
「ドクター! それにゴールディにアスタロス!」
 イチョウ並木が美しい秋。私たちの家に来客がいる。マツナガ博士とゴールディ、そして、私の弟アスタロスだ。
「ほら、ケーキを買ってきたぞ。どれか好きなのを選べ。あ、メフィスト。お前にも犬用のケーキを持ってきたぞ」
「ありがとうございます!」
「いただきまーす!」
 私たちはケーキをもらって喜ぶ。マツナガ博士は、そんな私たちを見て微笑んでいる。温かい微笑み。
 ゴールディとアスタロスに会うのは久しぶりだ。フォースタスは言う。
「ドクター、夕ご飯の用意をしますけど、ガンボはどうです?」
「おお、ぜひとも食べてみたいな。いただこう」
 フォースタスはキッチンに向かう。ガンボはかつての地球のアメリカ南部の郷土料理だったが、フォースタスの幅広い料理のレパートリーにそれはある。
 出来上がったチキンガンボを食べる。オクラが入っていて、とろみがあり、味わい深い。マツナガ博士がご飯のおかわりをするくらい、フォースタスが作るこのアメリカ南部風のシチューはおいしいのだ。
「ところで、ドクター。今日は何か用ですか?」
 フォースタスは博士に訊く。
「いや、特別な用はない。ただ、お前らの顔が見たかっただけだ。ゴールディもアスタロスもこうして外出する機会はなかなかないからな。少しくらい楽しんでもいいだろ?」
 博士は渋い笑みを浮かべる。

 私たちはサードアルバムのレコーディングをしている。今回はフォースタスがバックヴォーカルとして参加している。サードアルバムのタイトル『Queen of Heaven』はこの人のアイディアだ。そして、この中の一曲「Dance of Eternity」はフォースタスと私のデュエット曲であり、共同作業で作詞をした。そう、この曲は舞台版『ファウストの聖杯』のエンディングテーマ曲のリメイクなのだ。
坊主ラッド、なかなかいいじゃないか」
 博士は私たちのデモ音源を聴いて微笑む。ゴールディもアスタロスも私たちの楽曲を気に入ってくれたようだ。これらの楽曲が収録される『Queen of Heaven』の発売予定日は来年、すなわちアヴァロン連邦暦350年の7月7日、つまりは私の20歳の誕生日だ。そして、来年の秋には建国350周年記念式典がある。
 その式典で、何組かのミュージシャンたちのコンサートが開かれるが、私もそれに出演するのが決まった。しかし、気がかりな事がある。
 あのロクシーも出演決定したというのだ。



「今年の桜もきれいね」
 年が明け、また、桜吹雪の季節が来た。アヴァロン連邦暦350年の、アヴァロンシティの春だ。きらめく陽気の中、私たちはセントラルパークを散歩している。フォースタスと私だけではない。メフィストも一緒だ。フォースタスはリードを握っているが、そのリードにつながれているメフィストは普通のミニチュアブルテリアにしか見えない。
「この絶妙な薄いピンクがいいのよ」
 私はカメラのシャッターをバシバシ切っている。来年もまた、同じように桜の写真を撮るだろう。そんな私にフォースタスが声をかける。
「今年は建国350周年記念式典があるんだな。それでお前は記念コンサートに出るんだな」
 そう、問題のコンサートだ。
「緊張するわ」
「そこで新曲をるんだな?」
「うん、私自身も気に入ってる」
 フォースタスは話題を変える。
「スコットからまた話があったんだ。今度は『Blasted』を舞台化したいって」
「『Blasted』…シャン・ヤンさんの名前の由来になった人が主役の小説ね?」
『Blasted』、サブタイトルは「わざわいをはかるもの」。フォースタスが言うには、このタイトルはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を意識して名付けたという。この小説は、自らが作り上げたものに滅ぼされた男の物語だ。その主人公、商鞅しょう おうもまた、ファウスト的なヒーローなのだ。
 桜吹雪の中で、フォースタスは言う。
「アスターティ。お前が大学を卒業したら、結婚しよう」
 私は目を大きく見開いた。鼓動が強まる。
「フォースタス…!」
「お互いに頑張らないとな。俺も頑張る。これからもよろしくな」
 フォースタスは顔を赤らめる。私も頬が熱くなり、涙がこぼれる。
「ありがとう、フォースタス」
 桜色の洪水の中、私たちは周りの様子を忘れて、抱き合ってキスをした。涙の塩味を含んでも、なお甘い。フォースタスは私の唇から離れる。
「そろそろ帰るか?」
「ええ。一通り満足出来る写真は撮れたし、行きましょ」
続き・・は家に帰ってからな」
 メフィストは私たちをからかった。フォースタスも私も、さらに顔を赤らめる。
 私たちは駐車場に行き、車に乗り込んだ。

「俺たちはみんな、幸せになるために生まれて生きているんだ」
 車を走らせながら、フォースタスは言う。
「この現代の〈ビッグ・アップル〉アヴァロンシティで、みんなが。不幸になるために生まれてきた奴なんかいない。運の良し悪しがあっても、幸せになる権利はみんな一緒だ」
「人間だけでなく、バールも?」
「ああ、もちろんさ!」
 最近のフォースタスは、どことなくアガルタのマツナガ博士に似ている。以前のような微妙な弱気さは影を潜め、博士のような陽気な自信が感じられる。今のこの人には大人の男としての余裕が出てきたのかもしれない。そんな私の考えを読んだのか、彼は言う。
「俺はドクターと比べりゃ、まだまだひよっ子、坊主ラッドさ。でも、いつかはあの人みたいな大人の男になりたいと思っている」
「あなたは十分頼もしい」
 フォースタスは頬を赤らめる。
「あ、ありがとう。でも、まだまだ修行が足りないよ」
 私たちはショッピングモールに車を走らせる。そして、一通りの食材を買い出す。今日の夕食は二人で一緒に作る。餃子の具を一緒に皮で包むのだ。

「ああ、揚げ餃子もいいな」
「揚げ餃子?」
「モッツァレラチーズを包んで揚げて、トマトソースをつけて食べるんだ」
「このオクラと山芋と海藻のネバネバサラダは?」
「このドレッシングがいいだろ」
「このトンブリって『畑のキャビア』と呼ばれているけど、プチプチした食感が面白いね」
「俺、本物のキャビアよりこっちがいいな」
 私たちが夕食を作っている間、メフィストはテレビのスポーツチャンネルを観ている。あの子がひいきしているサッカーチームのニュースの音声が聴こえる。メフィストが叫ぶ。
「おお、やるじゃん!」
 そのチームの今シーズンの成績は良さそうだった。
 フォースタスは言う。
「まあ、な。アスターティ。俺たち、すでに夫婦みたいなもんだよな」
 その笑顔には、マツナガ博士に似た余裕がある。
「新婚旅行に行くなら、どこ行く?」
「…ソーニアにはあまり行きたくない」
「確かに、あいつらのイメージが強いからな」
「あいつら」。そう、確かにソーニア州は〈ジ・オ〉や「失言マッチョマン」ホリデイ州知事のイメージが強い。バール殺害事件が相次ぐ地域だ。
「まあ、別に無理して遠くに行く必要もないかな。キャムラン湖の父さんの別荘でゆっくり過ごしてもいいんじゃないか?」
「そうね」
「鮭のチャンチャン焼きとか、ジンギスカンとか焼いて食ってさ。俺たちとメフィストとのんびり過ごそう」
 私はフォースタスが食べ物の話をするのを聞くのが好きだ。この人のそんな話を聞くだけで、私は幸せな気持ちになれる。料理上手のこの人は、色々なものを食べるのが大好きだ。
 この幸せがいつまでも続きますように。フォースタスも言うように、私たちは幸せになるためにこの世に生まれてきたのだから。