ネミ

 そのモデルの芸名は「ネミ(Nemi)」といった。年は私と同じ。彼女は赤ちゃん時代からモデルとして活動していたという。私が今まで彼女について知らなかったのは、普段読むファッション雑誌のモデルに対してさほど興味がなかったからだ。しかし、このネミという女の子は他のモデルたちと比べて明らかに異彩を放っていた。
 色白の肌に、艷やかな黒髪、鋭い紫の目。華奢な体つきの美少年のような美少女。ロクシーのようにあからさまに女性的な色気ではなく、中性的な雰囲気を放つ美貌だ。
 私とベリンダは無事に入学試験に合格した。そして、私はフォースタスとの約束通り、私たちが買った一軒家に引っ越した。二階建てで、部屋数も十分だ。私もフォースタスも、それぞれの仕事部屋がある。以前、アガルタで出会ったサイボーグ犬メフィストも一緒だ。
 私たちの家には小さな庭がある。春には桜の木が花を咲かせ、夏には百合の花が芳香を放つ。



「やっぱり桜ってきれいね、フォースタス?」
「ああ、いい写真が撮れるな」
「今年もドンドン撮るわ」
 桜吹雪が美しい4月、日曜の昼下がり。大学に進学した私はセントラルパークの写真を撮っている。フォースタスとメフィストも一緒だ。
「この絶妙な色加減がいいのね。濃過ぎても、薄過ぎても、バランスが良くないの」
「毎年撮っても飽きないか?」
「全然。毎年同じ桜の花なんてないわ」
「まあ、孫子の兵法なんかでも、全く同じ戦争なんて一つもないらしいし」
「やだ、フォースタス。そんな例え」
「ごめん」
 フォースタスは、足元にいるメフィストに訊いた。
「おい、メフィスト。お前、大の方は大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。さっき家でしっかり踏ん張って出し切ったからな」
「水、飲むか?」
「うん、ありがとう」
 フォースタスはバッグから犬用の水の容器を取り出し、メフィストに水を飲ませた。
 私は一通り桜の写真を撮り終え、ふたりに声をかけた。
「あのオープンカフェでお昼にしましょう」
 私たちは公園の中にあるオープンカフェに向かった。
 心地よい南風が、桜の木々の間を通り抜ける。そこでフォースタスがつぶやく。
「ファウストの聖杯」
「え?」
「聖杯は人間に恵みの水を与える。俺にとってお前は聖杯なんだよ」
「フォースタス…」
「ありがとう、アスターティ」
 桜吹雪がさらに美しく映える。私はフォースタスの姿がまぶしかった。ずっとこの人と共に在りたい。私は強く願う。

 私はミヨンママと一緒にスタジオに行った。サードアルバムの打ち合わせのためにリンジーに会いに行ったのだが、どこかで見かけた誰かがいる。
 ネミ。
 間違いない。あのネミだ。
 ネミは賢そうな顔立ちだが、根本的に他人に対して無関心そうな雰囲気がある。そこがかえってある種の同性を惹き付けるのだろう。ロクシーのようなトゲトゲしさは全くない。ただ、他人との関係に対して無頓着そうに見える。
 しかし、彼女は確かロクシーと同じ事務所に所属しているはずだ。ひょっとして、すでに私と彼女は共演NGリストを共有しているのだろうか? 少なくとも、ミヨンママは彼女について何も言わない。ママにとってはかつての古巣に所属する芸能人は全て仮想敵かもしれないが、私は今のところはネミに対しては何の悪感情もない。ただ何となく存在が気になるのだ。
「初めまして、こんにちは」
 私はネミから声をかけられた。
「こ、こんにちは」
「同じ『ビッグ・アップル』に入学出来て良かったわ。これからもよろしくね」
 ネミは一人でスタジオを出て行った。
 私はスタジオに入り、リンジーに会った。そして、先ほどのネミについて訊いてみた。
「ああ、あの子ね。あの子の楽曲も私が手がけるのよ。あなた、良かったら彼女に楽曲を提供してみない?」
「え…?」
 私はミヨンママの顔を見た。特に悪感情らしき様子はない。ママは言う。
「ネミ…ネミッサ・ハラウェイ(Nemissa Blanche "Nemi" Haraway)。私は赤ちゃんの頃からあの子を知っているけど、芸歴が長い割にはスレていないわね。子役上がりの女優さんの中には同世代やもっと若い世代の同業者を『ぽっと出の分際で』と見下す人もいるけど、少なくともあの子はあからさまにそんな態度は出さないのね」
 なるほど、そうか。もし本当に彼女が他の同業者を見下さないなら、おそらくは相手に対してさほど関心がないからだろう。ロクシーの嫉妬深さは他人への関心の裏返しだろうけども、ネミからはそんなトゲトゲしさは感じられなかった。



 7月。フォースタスはユエ先生と一緒にライラさんの墓参りに行っている。そして、私はベリンダとネミと一緒に映画を観に行った。
 メフィストはリチャード博士のクリニックに預けている。私もフォースタスも出かける時は、必ずリチャード博士にあの子を預けている。何しろメフィストはただの犬ではないのだから、アガルタとは無関係のペットホテルなどに預けられない。
 ネミは意外と愛想が良く人懐っこい女の子だった。一見、クールビューティーに見えるが、意外とおちゃめな面がある。彼女は映画のギャグ展開があるたびにゲラゲラ笑い転げている。
 私たちが観ているのは『Babelcity Explode』というタイトルのアニメ映画だ。この映画はある植民惑星が舞台のアクションもので、賞金稼ぎのヒロインが縦横無尽に大暴れする内容だ。
「やだ~、このヒロイン、無茶苦茶過ぎる〜!」
 そのヒロインのライバルはどことなくネミに似ているように思える。それも、今みたいに親しくなる前の彼女のイメージに近い。

 私たちはあるファミレスへランチを食べに行った。
「そのピアス、フォースタスからもらったの?」
「うん、誕生日プレゼントね」
 私は星形のアクセサリーを集めている。主に自分で買ったものだが、誰かからのプレゼントだったものも少なくない。私が今耳につけているピアスは、フォースタスから今年の誕生日プレゼントとしてもらったものだ。
 ベリンダにも彼氏がいるけど、ネミは無性愛者なので、恋人がいない。私がネミに対して同性としての対抗意識を抱く気がわかないのは、多分そのおかげだ。
 しかし、私はネミに対して不思議に思う。それは彼女が無性愛者だという点ではない。もっと基本的な何かだ。彼女は本当に普通の人間なんだろうか? いや、ネミだけでない。あのロクシーだって、どことなく怪しい。ロクシーには根強い美容整形疑惑があるけど、もっと怪しい何かがありそうなのね。
 私は今は、ベリンダやネミやルシールにフォースティンといった友達がいるけど、一番の親友であるゴールディはアガルタにいる。彼女は士官学校の学生だけど、単なる軍人の卵ではなくバールだ。同じバールでも、私と比べて行動範囲が限られている。久しぶりに会いたくても、なかなか会えない。だけど、私は来週アガルタに検診に行くので、運が良ければ会えるかもしれない。

 私が家に帰ると、すでにフォースタスとメフィストがいた。フォースタスは夕食の用意をしている。
 私はミヨンママたちと暮らしていた頃からある程度は料理が出来たし、アガルタのマツナガ博士からも料理の秘訣を教わったけど、フォースタスに色々とコツを教わったおかげで、以前より料理の腕が上達した。そのフォースタスが用意したのは、あんかけ焼きそばと海藻サラダだった。
 食事を終え、しばらく休んでから、私たちは一緒に風呂に入った。お互いの背中を流し、一緒に湯船に入る。
「なあ、アスターティ」
「何、フォースタス?」
「お前も俺もアガルタに検診に行くけど、ドクターへの手土産はどうする?」
 そう、フォースタスは私との関係ゆえにアガルタに検診に行く必要があるのだ。この人はマツナガ博士をユエ先生と同じくらいに尊敬している。
「一応はドクターにもそれなりに行動に制限があるから、あの店でケーキを買ってきましょう」
 風呂から上がり、私たちはベッドに横たわっている。フォースタスの身体は温かい。甘く激しい楽しみの後、私たちは眠りについた。