夢と妄想

 水槽の中で、根っこが揺らめく。根っこは、徐々に成長しつつあった。
「加奈…お前は本当に覚えていないのか?」
 秀虎の表情に憂いがあった。
 太公望呂尚との約束。本来の肉体を取り戻し、かつての妻を再び愛する。そして、今の自分の世話をしてくれる加奈子こそが、亡き妻・加奈の生まれ変わりだった。
 果たして、それは可能だろうか?
 今の自分は、水面に浮かぶ生首だけで生きている。しかし、加奈…加奈子から食べ物や飲み物を与えられる事によって、首の切り口から生える血管や神経などが成長し、それらが徐々に人体の形を成すという。
 その中に骨格や内臓が宿り、表面を筋肉や皮膚が覆うようになる。
 奇妙な奇跡。今の自分は、生首の形をした蓮の花。
 蓮華院家の言い伝えによると、一族の遠祖は中国・戦国時代の斉の王族の末裔だったという。それが本当だったのかは、分からない。そもそも家系の詐称は、秀虎が生きていた時代にはさほど珍しくはなかった。
 かの英傑は言った。
「皇帝は、私の顔を見たいだけなのだ」
 彼は、自分の従者として都までついて来た二人の食客に語った。
「平和のために」自らの命を絶つ。なぜなら、自分たちの存在が戦乱の世を再び呼ぶ事になりかねないからだ。
「犠牲は私一人で十分。他の者たちを巻き添えにはしたくない」
「天下のために」、この世を捨てよう。彼の決意は堅かった。かつての大国の末裔、そして最後の「王」としての誇りだけではない。天下万民のため、私は死のう。
 彼は自らの首を切り落とし、従者たちに都に届けさせた。
「この者は『賢』なり」
 皇帝は彼のために涙を流し、かつて彼が身を潜めていた島の者たちのもとに使者を送った。しかし、島の者たちは皇帝の降伏勧告を拒み、自ら死を選んだ。
「王」として葬られた主を看取った者たちもまた、主に殉じた。
 その祖先の誇り。彼にとっては、その信念こそが「家宝」だった。
 しかし、そんな自分に働きかけた人物にとって、自分はその「子孫の仇」の子孫である。なぜ、そんな自分を選んだのか? 手の込んだ復讐か?
 いや、あの老人は多分そのような人物ではあるまい。ただ、猫のような気まぐれさを感じる人物だ。そこがまた不安ではあるが。

「何と!?」
 秀虎は驚いた。加奈子の髪は思いっ切りバッサリと切られていた。
「もったいない。髪は女の命だというではないか?」
 秀虎は困惑するが、加奈子自身も負けず劣らず困惑する。確かに昔の人である秀虎にとっては、女の短髪には違和感を覚えるだろう。しかし、現代の女である加奈子は思う。髪は女の命とは言うものの、薄毛男性の髪に対する執念の方がよほど凄まじい。ただし、加奈子の雇い主である社長…紅葉山のおじさんは、潔く髪への執念をあきらめて、思い切って丸坊主にしている。
 そんな社長とは対照的に、秀虎は豊かな黒髪を水中に揺らめかせている。いわゆる月代(さかやき)もないので、顔と髪のバランスがおかしくない。いかにも落ち武者といった風情の悲惨さはなく、高貴な凛々しさを感じる。
「あのね、今のこの国は、基本的にどんな髪型をしてもいいの。他人に迷惑をかけない限りはね」
「うむ、この時代についての勉強が必要だな。加奈、わしに色々と教えてくれないか?」
 それから加奈子は、家にある様々な本を読み聞かせるようになった。自分の本だけではない。亡き家族らが残してくれた蔵書もたくさんある。
「この人と一緒なら、私は勉強をし直せる」
 加奈子は思う。昔は幼馴染の涼子が家庭教師になってくれたおかげで、自分はかろうじて高校や大学に進学出来たのだが、社会人になってからも勉強は大切なのだと実感している。
「え~と、まずはどのジャンルから始めようかな?」
 やはり、秀虎が殺されてからの歴史について教えるべきだろう。本人にとってはつらいハズだけど、避けては通れないのだ。
「文庫か…。『史記』も『左伝』もこんな小さな本に作れるとは、匠の技だな!」
 確かに秀虎の時代の書物は、巻物などのかさばるものだ。書物の「コンパクト化」、「知の民主主義」か。
 ついでに美容技術が発達して、価値観の多様化が進んで、「美人」扱いされる女性が増えた(ように見える)のは、いわば「美の民主主義」だろう。
 秀虎を観客とする朗読会のおかげで、加奈子自身もドンドン知識が身につくだろう。「生涯学習」なんて言葉すら思い浮かぶ。
 秀虎が眠ってから、加奈子はノートパソコンに向かい、小説の続きを書いていた。今度こそは二次選考にたどり着き、最終選考に進出したい。
 外は雪景色。窓越しに見ているだけでも寒くなる。今夜はサッサと寝よう。



《今日は、サークルの仲間とクリスマスパーティー。リア充にょん♪》
 女は、安アパートの「汚部屋」で嘘つきブログを書き込んでいた。彼女は、今年のクリスマスイヴを共に過ごす男の確保は出来なかった。
「男のいないクリスマスイヴなんて、何の意味もない」
 それが彼女の「恋愛資本主義」。いや、今の彼女にとっては、「恋愛」など単なる演技に過ぎなかった。
 彼女が本当に愛しているのは、彼女自身だけ。彼女を本当に愛しているのもまた、彼女自身だけ。それは、子供の頃から変わらない。いや、多分彼女は自分自身すら愛していないだろう。
「男はみんなバカで単純」
 彼女と同じ物言いをする女は少なくないが、世間に「ぶりっ子」や「偽サバサバ女」がいるように、「偽単純」「ビジネス単純」の男たちもいるのだ。
 そして、男を見るたびにいとも簡単に「単純認定」する女ほど、「ビジネス単純」男に騙される危険性はあるだろう。
 彼女は、あるケータイ小説サイトをぼんやりと眺めていた。
 そうだ、「あの女」。作家志望だ。
 彼女の心中は、聖夜にふさわしくないどす黒さに染まった。あの女の小説新人賞受賞を阻んでみたい。
 しかし、彼女はケータイ小説も含めて、生まれて一度も小説らしきものを書いていなかった。彼女の「嘘力」「妄想力」はあくまでも、他人を騙して操るためのものだった。
「この人は私になりたかった女性です」
 彼女はブログ友達相手に、こう宣言した。しかし、本当に「相手の存在そのものになりたかった」のは、実際にはどちらだったのか?
 中学時代、彼女は問題の女を「いるのか、いないのか分かんな~い!」などと嘲っていたが、今の自分はあの女と立場が逆転してしまっているのではないのか?
「むっちゃムカつく!」
 彼女は、ある小説に目をつけた。この小説をパクろう。
 主人公の名前などの設定をちょっといじってみよう。彼女は、問題の小説をコピーした。
 問題の小説の著者は、「サユ」というハンドルネームだった。どうせ、本格的な小説を書こうとは思っていないだろう。登場人物の名前などの設定を改変すれば、「オリジナル」小説の出来上がり。
 これを、あの女が読んでいる雑誌の小説新人賞に投稿する。ペンネームは、自分のネット上での「メインキャラクター」の名前だ。



 加奈子は夢を見ている。彼女は中学時代に戻っていた。
「おい、トロ子! お前、うぜぇんだよ!」
 茶髪のギャルギャルしい女生徒がイチャモンをつける。加奈子はこの女が大嫌いだった。ギャル系女は加奈子のノートを引ったくる。
「こんな下手くそな落書きで漫画家になれるって? ざけんな!」
「やめな、浜!」
 涼子が浜という苗字の女生徒から加奈子をかばう。若菜も問題の女生徒を非難する。
「ケッ、結局一人じゃ何も出来ねぇの。馬鹿じゃん!」
 ギャル系の女生徒はノートを捨て、取り巻きたちを連れて立ち去った。加奈子は不動涼子と樽川若菜という二人の人気者を味方につけているので、いじめっ子連中はそれ以上は手を出せないのだ。涼子と若菜は、ノートを拾って涙ぐむ加奈子を慰める。
「あんな奴らなんか気にするんじゃない」
「そうだよ。あの子はモテキャラぶってるけど、ホントは大してモテる女じゃないんだからね」
「ありがとう、涼ちゃん、ワカ」
 加奈子は二人に感謝した。あれからもずっと、彼女は二人を得がたい友だと思っている。