乙女の危機

「この人は、私になりたかった女性です」
 問題のブロガー「あすかももこ」は花川加奈子という女について、傲慢にもこう言い放った。何て、自己評価が高過ぎる発言なのだろう? こんなナルシスティックな発言なんて、マトモな神経の人間ならば、恥ずかしくて言えないだろう。さらに、彼女はこうも言った。
「私が持っているものに対して、うらやんだりねたんだりするのは、自分がない人」
 その「持っているもの」とやらは、ネット上で他人の注意を引くためのもので、全部嘘。彼女は加奈子を悪者扱いするために、加奈子を「妄想の塊」だの「私をいじめる人」だのとでっち上げたが、彼女…「あすかももこ」が本当にあの浜凛華と同一人物ならば、その発言はいわゆる「ブーメラン」だ。
 おまけに「あすかももこ」はネット上で男性の腰巾着(そう、他の女ではないのがミソだ)相手に「嫉妬という感情が理解出来ない…」と泣きついた。もちろん、「ヴァーチャルカマトト」の嘘泣きだ。しかし、彼女の「虚像」を信じて嫉妬した加奈子も大人げないだろう。
 ももこは加奈子を「エゴの塊」とも罵った。「自分がない人間」と「エゴの塊」という相反する悪口を、同じ相手に対して言う。矛盾ではないのか? しかも、ももこは「矛盾している人が嫌い」などとも言っていた。ならば、彼女は真っ先に自己嫌悪に陥らなければならないだろう。
 加奈子は明日は休日なので、ゆっくり休める。すでに夏と言っていいくらいの気温だが、彼女はなぜか体の芯が冷えるような寒気を感じる。早く帰りたい。でも、スーパーで買い物をしたい。彼女は迷った。

 加奈子は異変に気づく。誰かに尾行されている気がする。何だかサスペンスドラマみたいだ。まさかストーカー? 加奈子はスーパーに立ち寄らずに、早足で帰りを急いだ。
 しかし、家に近づくほど不穏な気配がする。いっその事、交番に駆け込もうか?
 振り向くと、ガラの悪そうな男がいた。男はすぐに電柱の陰に隠れたが、間違いない。あれがストーカーだ。
 それに、まだ何人か怪しい気配を感じる。マズい!
 加奈子はすぐに家に戻らずに交番に向かった。早歩きで、そして、徐々に駆け足で。

 呂尚とブライトムーンは、雀に変身して空を飛んでいた。彼らには、このような変身能力もあるのだ。
「ネズミは壁を忘れても、壁はネズミを忘れない…か」
「ネズミと壁…ですか?」
「ああ、被害者と加害者の意識の違いだ。いじめっ子は都合良く自分の悪事を忘れるが、いじめられっ子は被害者意識を保ち続ける。その結果、元いじめっ子は要領よく一人前の『社会人』を気取れるまでに成長する場合が少なくないが、元いじめられっ子は犯罪者か生活困窮者のいずれかに転落する危険性が高い。同じ事は、親子の虐待についても言えるぞ」
「そりゃヒドいですよ!」
「しかし、加奈子は元いじめられっ子としては、幸せな部類だな」
「その加奈さんは…あ、あそこにいますよ」
 二人は仕事帰りの加奈子を見つけた。しかし、彼女に近づくただならぬ気配を感じた。彼女の後ろの通行人たちの中に、不穏な様子の男たちがいる。
「先生! 加奈さんを尾行している奴がいますよ!?」
「ブライティ、加奈子を守れ! 状況次第では『乗り移れ』!」
 ブライティ…ブライトムーンは姿を消し、加奈子を追った。加奈子は何者かの気配をハッキリと感じ、脚を速めた。

 追っ手は数人いる。そして、加奈子はあまり足が速くない。元々体育は苦手教科の一つだった。
 火事場の馬鹿力でいつもより若干足が速いが、このままでは間に合わない。追っ手たちは、ハッキリと彼女を追いかけ始めた。
 乗り移れ!
 ブライティは光の玉になり、加奈子の後頭部にめり込んだ。光の玉はスッと加奈子の頭の中に入った。
 このまま家に帰っても、誰かが待ち構えているかもしれない。あえて、別方向に逃げよう。加奈子の体に乗り移ったブライティは、急いだ。

「え!?」
 加奈子は追っ手から逃げていたが、いつの間にか勝手に足が速くなった。ほとんど飛んでいるような感覚。いや、半ば本当に飛んでいるようだ。いきなり何者かに体を乗っ取られたかのように、加奈子は走り回った。
 誰かによって、自分の体が「自動運転」状態になっている。赤信号の場所にぶつかれば、自然に右折や左折をし、追っ手たちをまいていった。
 気づいたら、川岸にたどり着いていた。普段、あまり来ないところだ。だいぶ家や交番から遠ざかっている。なぜこんなところに来たのだろう?
「良かった。何とか敵はあたしらを見失ったようね」
「え!?」
 加奈子が振り向くと、隣にブロンド白人の女の子がいて、流暢な日本語で話しかけている。多くの日本人は、外国人に接する時には大なり小なり緊張感を抱くが、加奈子にはドイツに親戚がいるので、外国人に対してはさほど抵抗感がない。
「あなたは…誰?」
「あたしはブライトムーン。ブライティと呼んでね」
「ひょっとして、あなたが私を助けてくれたの?」
「うん。あなたを狙っている奴がいるからね。あなたを恨んでいる誰かが依頼した連中みたいよ」
 加奈子は思う。まさかとは思うが、「あすかももこ」=浜凛華の仕業? いや、ももこと凛華が本当に同一人物なのか確信は持てないが、ももこは自分のブログで、加奈子に対してこれから一切関わりを持たないという意味で「さようなら」だの「今年の汚れ、今年のうちに」だのと書き込んでいた。それ以来、加奈子についての言及はないし、相変わらずつまらない内容の記事しか書いていないから、加奈子は今は彼女のブログは一切覗いていない。
 凛華だって、あくまでも「地味子」である加奈子を「下」に見ていたのだ。わざわざ大掛かりな嫌がらせを仕掛けるなんて、加奈子には信じられない。
「ブライティさん、ありがとう。でも、また何かあったら怖いけど…」
「大丈夫、家まで付いて行ってあげるよ」
 二人は家まで戻ろうとした。もう、すでに辺りは暗くなっている。
「まずい! 別の奴らが来たよ!?」
 ブライティが叫んだ。バイクの集団が鳴らす轟音が聞こえ、徐々にこちらに近づいてきた。
「奴らを殺さずに防ぎきる事は出来るか…?」
 ブライティは加奈子を守るように前に出た。