その時、世界は変わった

「あたし以外の女なんていらない。この世に女は、あたし一人だけで十分」
 凛華は母親の家に娘を預けている。母親は、凛華を性的虐待していた再婚相手とすでに離婚しており、今は別の男と暮らしている。
 凛華の母は、娘に対して同じ「女」としてのライバル意識を抱いていた。幼い頃から、並みの成人女性以上の色気を放っていた娘。そして母は娘に対して、自分の中学時代に自分をいじめていた女子クラスメイトの面影を重ねていた。
「あんなババア、いらない。ガキもいらない」
 凛華は一人、アパートの一室で電話を待っていた。
「みんな死んでしまえばいいのに。あたし以外の女どもはみんな」
 全ての男子クラスメイトが加奈子をいじめてはいなかった。中立の立場をとる男子も少なからずいた。そして、密かに加奈子に好意を持つ男子生徒もいた。
 凛華は、それが気に入らなかった。自分以外の女が男にモテる事それ自体が許せない。そもそも、自分以外の全ての女どもが憎いし、加奈子に対するいじめの黒幕も彼女自身だった。
「あたしは自分以外の全ての女どもが嫌い。なぜなら、あたしは正直者だから」
 凛華は汚いやり方で大人の男たちと付き合っていたので、学校の男子生徒がいかにもガキ臭くて好きにはなれなかった。だから、他の女生徒が男子生徒にどれだけモテようがどうでもいいハズだが、母親の嫉妬深さを色濃く受け継いだせいで、彼女は自分以外の女に心を開けなかった。
 自分の取り巻きだった女生徒たちも、しょせんは単なる「道具」に過ぎなかった。
「あたし以外の女はみんな無価値。死んでしまえばいい」
 それにしても、イライラする。凛華は缶ビールの蓋を開け、違法薬物と共に飲み干した。
「なるほど、母親との関係が元凶か…」
 果心は、凛華の部屋から離れた。なるほど、母親が鍵か…。彼は、凛華の母親を探ろうと思った。



「バイク野郎、しつこい!」
 加奈子とブライトムーンはそのバイク野郎から徒歩で逃げている。いや、飛んで逃げている。まるで風と同化したように。ブライティの「運転」は神業だ。誰にも何にもぶつからずに、二人は逃げていた。
 後ろで急ブレーキの音が鳴り、衝突音があった。
 加奈子はようやっと我が家にたどり着いた。荷物はショルダーバッグとリュックサックだけだが、ショルダーバッグは引ったくり対策のためにいつも通り斜めにかけているので、ブライティの「超高速運転」でも落とさずに済んだ。リュックも無事だ。
 ただ、さっきの災難のせいで買い物が出来なかった。一応、冷蔵庫には夕食の材料になるものはある程度は入っているのだが、加奈子は悩んだ。
 ブライティは加奈子の体から離れた。
「それじゃあ、あたしは帰るね。また何かあったら来るけど」
「ありがとう、ブライティ。でも、なぜ私を助けてくれたの?」
「あるお方の命令でね、あなたとヒデさんを助けたの」
「ヒデさんが…?」
「そんじゃーね!」
 ブライティは去って行った。
 加奈子は家に入り、ドアの鍵を閉め、茶の間の明かりをつける。すると、そこには秀虎が素っ裸で倒れていた。
「ヒデさん!?」
「加…奈…?」
「大丈夫? 動けるようになったの!?」
「ああ、かろうじて立てたが、まだ力が元通りではない」
「そうだ、布団を敷いて休まなきゃ!」
「水槽の部屋は水浸しだ。わしが水槽から出ようとして立ち上がったら、倒れて投げ出された」
「だったら、仏壇の部屋に布団を敷くね。待ってて!」
 加奈子は仏間に布団を敷き、秀虎を立たせて、部屋に連れて行った。蘇生したばかりの男の足取りはおぼつかない。加奈子は彼を布団に寝かせた。
 加奈子は早速夕食作りに取りかかった。もう午後十時近くだから、むしろ夜食だ。彼女は非常用として買っておいたレトルトパックのお粥を開けて、鍋に入れ、卵や缶入りのツナなどを開けて混ぜて温めた。
 秀虎は上半身を起こし、お粥を食べた。今まで通り、加奈子がスプーンですくって食べさせた。食後の歯磨きも、今まで通りに彼女が磨いた。
 秀虎が横になっている間に、加奈子はびしょ濡れの部屋の始末をした(つけっ放しのラジオの電源も切った)。雑巾で吹いては絞って汚水を風呂場の排水溝に捨て、終わった頃にはすでに日付が変わっていた。
「まあ、休みだからいいか」
 加奈子は秀虎の布団の隣に自分の布団を敷いて、明かりを消して布団に潜り込んだ。今までと変わらない。そう思っていた。
 ふと気づくと、秀虎の手が彼女の手を握っていた。秀虎は彼女の掛け布団をめくり、彼女の布団の中に入ってきた。
「加奈…お前がほしい!」
 秀虎は加奈子の唇にキスをした。



「この応募作品、パクリですよ」
「どれが?」
「この『あすかももこ』というペンネームの応募者ですが、これそっくりの話を小説投稿サイトで読んだ事があります」
「その投稿サイトの投稿者自身ではないのか?」
「あすかももこ? どこかのフーゾク店のサイトにそんな源氏名の女が載っていたぞ」
「鈴木さん、ひょっとしてその店に…」
「バカ、サイトを見ただけだ」
「まあ、いずれにせよ、最終選考は審査員の先生方の判断だよ。ところで、この『恋愛栽培』という小説なんだけど…」
「女神とジャズピアニストの卵の話か?」
「この小説はなかなかのものだと思うよ」
「まあ、あくまでも最終選考の先生方次第だよ」

 新人賞の審査員の一人、樽川るい子は大物作家であり、バイセクシュアルであるのを公言している未婚の母である。そう、彼女は加奈子の親友若菜の母親だった。
 彼女は加奈子の応募作『恋愛栽培』を読んでいた。
「この子、だいぶ書き慣れてきたわね」
 るい子は、以前も何作か加奈子の応募作を読んでいる。そして、今回の小説は今まで以上に完成度が高い。
 しかし、加奈子は自分の娘の幼なじみであり、加奈子の小説を推薦するのはえこひいき扱いされる恐れがある。とは言え、これを落選させるのは忍びない。
「せめて特別賞をね…」
 新人賞の最終選考は、いよいよ大詰めだった。
 他にも「強敵」は少なからずいる。しかし、例の「あすかももこ」などは敵の名にも値しなかった。彼女の「パクリ投稿」は、真っ先に脱落した。そもそも、彼女は単に加奈子に「勝ちたかった」だけである。元々作家になりたいという夢などなかったし、そもそも「こうなりたい」という理想自体がなかった。
 彼女は今も、違法薬物に溺れながらも加奈子を呪っている。他に何もやる事はない。
 何しろ、彼女が関わった男たちはほとんど逃げてしまったのだ。