パクチーの意義

 札幌は雪まつりを終え、後は来月を待つだけだ。3月、ひな祭り、桜餅。

 なぜ北海道の桜餅は関西風が主流派なのか? 聞くところによると、昔の関西の菓子職人が北前船のおかげで北海道に上陸するのが早かったから、北海道の桜餅の多くは関西風なのだ。

 しかし、今の私はむしろクレープみたいな形の関東風桜餅を食べてみたい。いや、関東風も関西風もまとめて食べたい。やはり、家からかなり離れたあそこの和菓子屋に行くしかないのか?


 そう、私はあくまでも色気より食い気の女だ。「ブスの正妻が丹精込めて作った手料理より、美人の愛人がレンジでチンしたレトルト食品の方がうまいに決まっている」などとほざくようなダメ男など、こちらから願い下げだ。


 それはさておき、世の中には、熱烈なパクチー好きの人間と、熱烈なパクチー嫌いの人間がいる。要するに賛否両論だ。そんな私自身はどちらとも言えない中立的な、悪く言えば中途半端な立場にある。

 私は以前、夢の中で「パクチーとはあくまでも薬味として使うべき代物であって、メインの食材として使うのは邪道だ」と断言した。肝心の夢の内容は全く覚えていないが、今の私自身もその考えは変わらない。

 第一、薬味たるもの、あくまでもメインの食材を引き立てるべきものであって、自らがメインの食材として最前線に躍り出るのはおかしい。あえて実名は挙げないが、ある若手女優は所属事務所が地道に「有能な脇役女優」として育てるべき人材だった。それにも関わらず、その事務所は無理やり彼女を「ヒロイン級」の女優にすべく色々とゴリ押しをしたせいで、彼女は色々と台無しにされてしまった。


 さて、今日の私の夕食は塩焼きそばである。それも、ただ付属のソースで味付けするだけではない。今日の私はこれにパクチーとニンニクを加える。

 パクチーは、近所のスーパーマーケットで買ってきた生野菜だ。ニンニクは瓶入りのおろしニンニクだ。私はパクチーをみじん切りにし、スプーンでおろしニンニクをすくい、炒めている焼きそばに入れて混ぜる。

 実食、悪くない。しかし、物足りない。動物性食品が足りない。例えばシーフード、エビかイカを具にして入れた方が良かろう。

 そう、私は改めて確信した。パクチーとはあくまでも薬味として使うべき代物であって、メインの食材として使うのは邪道だ。私が今日作った塩焼きそばには、パクチーとニンニクが引き立てるべき具がなかったのだ。味のある名脇役俳優が支えるべき主役はあくまでも麺だが、今日の夕食は主人公の恋人役の役者がいない芝居である。


 次に作るなら、冷凍の下ごしらえ済みのエビやイカを買ってこよう。私は他にも色々と料理を作って食べたい。何度でも言う。私はあくまでも色気より食い気の女だ。いかなる料理よりも魅力的な男など、すでに私よりはるかにハイレベル・ハイランク・ハイスペックの女かゲイのものになっている。異性愛市場など、今さら私みたいな女に対して「商品価値」など認めないのだ。

 酒に対してまさに歌うべし? あいにく私は下戸だ。美味に対してまさに歌うべし。