道化は再び歩き出す

 もうすぐゴールだ。いや、新たなスタートだ。物語の先が見えてきた。俺は勢いづく。以前のスランプが嘘みたいだ。
 以前の過ちが招いた不運の反動のように、俺の執筆作業はなめらかに進む。
 俺は果心と緋奈と久秀をゴールまで連れて行く。聖杯を手にして。物語は佳境に入る。
《俺たちはあの山の向こうを目指す。海を渡り、さらに進もう》
「海?」
《誰も追ってこないところまでな》
 天から何かが降ってきたかのように、物語は進む。俺は果心たちを追いかける。俺が果心たちをゴールまで連れて行くのではない。果心らが俺を引っ張って連れて行くのだ。
《俺は一旦は眠るが、いずれは目覚める。また会おう》
《どうか私たちを忘れないで》
《俺たちはお前たちと共にここに来た。そして、今もこれからもお前たちと共にある》
 過去から未来に続く光と風の奔流。俺は歴史の巨大な流れに乗って泳いで行く。
 地球史。
 俺たちアヴァロンの民は地球人の子孫だ。そして「地球史」こそが我々の世界の礎なのだ。超巨大宇宙移民船アヴァロン号は、はるか昔に地球を旅立ち、この惑星ほしにたどり着いた。この惑星の開拓は過酷であり、莫大な犠牲を払った。人間たちだけではない。人間の亜種である人造人間バールたちも犠牲になった。
 かつての「宗主」である地球連邦からの独立は、アヴァロンの民が勝ち取った栄光だった。

「過ぎ去った事は仕方ない。まずは、これからどんな道を歩むかが大事なんだ」
「父さん…」
「ただ過去を振り返るばかりでは、前には進めないぞ」
 そう、過ぎ去った事はどうにもならない。どうあがいたって、ライラは生き返らないのだから。俺は俺自身の仕事をするだけ。
 父さんとヴィックとのバカンスから一年。俺は、ある雑誌でエッセイの連載を始めた。短篇小説もいくつか書いた。しかし、『ファウストの聖杯』の推敲はまだ終わっていない。
 俺の『ファウストの聖杯』の主役は、完全に久秀から果心に代わっていた。そして、果心は俺の分身に他ならない。ならば、ヒロインの緋奈とは誰なのか?
 ライラではない。そう、あの娘、アスターティだ。しかし、彼女はまだ17歳だ。
「まだ17歳、いや、もう17歳か…?」
 そういえば、俺もすでに27歳だ。そして、ヴィックは芸能事務所「邯鄲ドリーム」の社長に就任して一年。社長と放送作家の二足のわらじを履いている。そして俺は、この邯鄲ドリームに所属している。ブライアンは俺のマネージャーだ。
 つまり、俺とアスターティは同じ芸能事務所に所属しているのだ。しかし、俺は彼女と顔を合わせるのを避けていた。
 やはり、怖いんだ。俺は彼女に顔向け出来ない。多分、アスターティは俺を許していない。ランスだって、いまだに俺を許してくれないんだ。ならば、俺に直接裏切られたアスターティが俺を許してくれないのは当然だろう。



「信長にとって俺はただの玩具おもちゃさ。だが、俺は奴の玩具のままではいられぬぞ」
 久秀は言う。確かに果心もそう思う。
 子供のような好奇心の持ち主。それは信長も久秀も同じである。しかし、だからこそ同族嫌悪が生じるのだ。
 共感とは、好意だけではない。お互いに対して自らの影を見て忌み嫌うのもまた「共感」である。人は、他者を自己の鏡とするのだ。
 果心と緋奈は、信貴山城内の離れでひっそりと暮らしている。久秀はたまに訪れるが、ちょっとした世間話をして過ごすだけ。他には、緋奈に琴や琵琶を弾かせて聴き入るくらい。かつての「宴」は遠い夢のようだった。
 ひょっとして、久秀は、自分と緋奈がよりを戻せるように「荒治療」をしたのではないだろうか? 果心は、古くからの友がいまだによく分からなかった。
「果心、また歌ってくれ」
「歌?」
「そう、『楚辞』の〈天問〉に節をつけたあれだ」
 神は世界を作ったというが、その神は誰に作られたのだろうか?



 俺は、バラエティ番組で自虐的な道化を演じている。これも食べていくため。しかし、いつかは作家として立ち直ってみせる。そう、臥薪嘗胆だ。
 ヴィックら邯鄲ドリームのスタッフの助けのおかげで、俺は徐々に仕事運が向いてきた。
 そして、『ファウストの聖杯』はようやく完成した。一体どれだけ右往左往してきたのか? 俺は肩の荷が下りた。
 ヴィックはブライアンの姉ミナと結婚していたが、この社長と副社長の尽力で、ようやくこの小説の出版にこぎつけた。そして、俺の友人で劇団〈シャーウッド・フォレスト〉リーダーのスコット・ガルヴァーニは、早速俺の『ファウストの聖杯』の脚本を書き始めた。そのスコットは俺に、舞台版『ファウストの聖杯』の果心を演じてくれるのを頼んだ。
「果心を演れるのはお前しかいないよ」
 俺は迷わず承諾した。やるしかない。何しろこの作品のタイトルは『ファウストの聖杯(The Grail of Faust)』、俺の名前は「フォースタス(Faustus)」。いかにも手前味噌だが、果心を演じるのは俺しかいない。
 この物語の果心は、俺そのものなのだ。