溢れる罪と血

「それでは、チャオさん。あなたはライラさんとお互いに合意の上で関係を結んだのですね」
 ついに、この時が来た。俺とユエ先生、リジーとルーシェ弁護士は先生の家に戻り、ライラと応接室で話し合う。ルーシェ弁護士は俺に質問する。
「はい、間違いありません」
「ちょっと待って! フォースタスは悪くはないわ。私が一方的にフォースタスと関係を持ったのよ!」
 ライラは反論する。それに対して、ユエ先生はライラを諭すように再反論する。
「ライラ、僕は君もフォースタスも責めるつもりはない。ただ、別れてほしいんだ。僕はリジーと一緒になりたい。リジーのお腹の子もいるんだし。慰謝料も、僕から君に支払う。その代わり、例の絵がほしいんだよ」
「だったら、マークの親権はどうなるの!? 私たち、あの子に構ってあげられなかったじゃないの! それに、あの子はあなたにも私にもついて行きたくないでしょう」
「ああ、その通りだ!」
 俺たちがドアの方向を振り返ると、そこにはマークがいた。
「やぁ、おかえり。マーク」
「おかえりじゃねぇ! 俺がお前らのせいでどれだけ傷ついてきたか、思い知れ!」
 マークは、台所から持ってきた包丁を手に、俺に襲いかかった。ユエ先生やルーシェ弁護士が止めようとするのを振りほどき、刃は俺の心臓を狙っていた。
「やめて!」
 とっさに、ライラが俺をかばい、息子の凶器に「正確に」左胸を貫かれた。

 マークは、ユエ邸の張り込みをしていた二人の男たちに取り押さえられた。ルーシェ弁護士は警察に電話し、救急車を呼んだ。
 しかし、ライラは即死していた。
 マークは逮捕され、ライラの葬儀が行われた。
 参列者たちが俺とユエ先生を見る目は冷ややかだった。ランスは俺に一言も口をきいてくれなかった。
 師弟揃って文壇追放というシナリオすら思い浮かぶ。俺は師匠の妻との不倫。そして、ユエ先生は俺の元恋人との不倫と、相手の妊娠。激昂した息子の母親殺し。
 世間での俺たちの評判はさんざんだった。俺は、ある雑誌でのエッセイの連載を打ち切られた。
 マークは、少年刑務所に入った。



 あれから一年。アスターティは高校に進学した。文壇で干された俺は、大学時代からの友人スコット・ガルヴァーニ(Scott Gavin Galvani)が主宰する劇団〈シャーウッド・フォレスト(Sherwood Forest)〉で裏方の仕事をしている。
 ランスはマロリー法律事務所に就職したが、いまだに俺を許してくれない。しかし、スコットは俺に同情してくれた。
「あのさ、フォースタス」
「何だい?」
「お前が今書いている小説だけどさ、俺らに舞台化させてくれないか?」
 スコットは言う。
「いや、まだ完成していないけど」
「そうか…」
 俺は窓を通して空を見上げる。午後4時近く。今の季節ではまだまだ空は明るいが、俺の心はいまだに暗い。スコットはそんな俺の気分を察したようだ。
「ランスの奴、いまだにお前を許してないけど、俺からも許してくれるように頼むよ」
「ありがとう、スコット」
「はーい、スコットにフォースタス。差し入れを持ってきたよ」
 ドレッドヘアの黒人の女が紙袋に入った何かを抱えている。ナターシャ・パーシヴァル(Natasha Dinah "Nat" Perceval)。シャーウッド・フォレストの看板女優にして演出家で、彼女も俺の大学の同期で、友人だ。
「おお、ドーナツ! ちょうどいいところに来てくれたな。フォースタス、食おうぜ」
 俺はナターシャからドーナツを受け取ってかじった。ピーナッツバターとアーモンドが香ばしい。
 他の団員たちもあちこちでこの差し入れを食べているようだ。隣の部屋から屈託なく賑やかな談笑が聞こえるおかげで、何だか少しは気が楽になったような気がする。俺たち三人は隣の部屋に移った。
 シャーウッド・フォレストの連中は俺に親切にしてくれる。もちろん、俺の不祥事を内心快く思わないメンバーたちも少なからずいるだろうが、少なくとも、俺を露骨に白眼視する人間はいない。
 それは多分、スコットやナターシャらの人徳のおかげだ。俺はこいつらに感謝している。

 ユエ先生はリジーと再婚し、子供が生まれていた。女の子で、名前はアナベラ(Annabella Tiara Yue)という。名前に「ベラ」がついているが、「ベラ」とはライラのミドルネームだ。
 俺は先生の家に出産祝いの贈り物を届け、サッサと帰った。先生はかろうじて文壇追放という状況に追い込まれずに済んだが、俺は『ファウストの聖杯』を抱えながら迷走していた。