楽園の女神

「やっぱり桜ってきれいね」
 彼女は携帯電話を取り出し、カメラのシャッターを切った。
 辺り一面、淡いピンクの洪水。プラチナブロンドの髪と空色の目、透き通るような艶やかな白い肌の美少女は、無我夢中で桜並木の写真を撮る。ひとしきり撮り終えたら、カメラ機能付きの携帯電話をバッグにしまい、自動販売機でミルクティーを買った。そして、ベンチに座ってミルクティーを飲み、容器をゴミ箱に入れ、バッグから一冊の本を取り出した。
 アヴァロン連邦歴345年、4月。この惑星ほしで桜吹雪のこの時期が入学式シーズンになったのは、かつての日本のしきたりにならったものらしい。
 アスターティ・フォーチュンは、この春に中学3年生になった。そして、今年の7月に15歳の誕生日を迎える。
 アガルタの人工子宮〈アシェラ(Asherah)〉から生まれた彼女は、6歳になってからアガルタを出て、人間界で生きてきた。彼女は今、ヴィスコンティ家の里子として暮らしている。
 この家の女主人ミヨン・ヴィスコンティ(Miyoung Moon Visconti)は、かつては大手芸能事務所の役員だったが、今は独立して、自らの事務所を立ち上げている。
「フォースタスの新作」
 アスターティは、一冊の本を開いた。タブレット端末で読む電子書籍が当たり前のものになっているこの時代においては、紙の書籍は一種の贅沢品だと見なす者も少なくない。
 フォースタス・チャオ(Faustus Shota Chao)、24歳。新進気鋭の作家。父は中国系とアイルランド系の血を引き、母は日本人の血を引く。フォースタスの母ミサト・カグラザカ・チャオ(Dr.Misato Kagurazaka "Misa" Chao)は理学博士であり、アガルタの研究者である。
 人造人間「バール」は、基本的に生殖能力がない。性行為自体は可能でも、新たな生命は生み出せない。
 しかし、彼女は違う。
 去年、アスターティは初潮を迎えた。そして、アガルタで身体検査を受けて、妊娠能力がある事が確認された。そして、それこそが彼女の存在意義だった。
「そうだ、家で読んだ方がいい」
 彼女は本をバッグにしまい、立ち上がった。

「何とか余計な干渉はなかったようだな」
「うむ。フォースタスとの結婚が実現するまでは、邪魔が入ってはいけない。しかし、当のフォースタスには困ったもんだ」
「フォースタス君が?」
「ああ。アスターティがまだ中学生なのをいい事に、他の女と付き合っておる。以前の彼女とは大学時代に別れたようだが、今はどうしているやら」
「しかし、当人の母親のカグラザカ博士は何も言わないんだろうかね?」
「博士も心配しているでしょ、さすがに」
「引き続き、アスターティの監視と警護だ。もちろん、フォースタスもな」
「フォースタス君、まさかあの娘の事を忘れてるんじゃないよね?」

 セントラルパークでは華麗に桜吹雪が舞い上がる。



 ミサト・カグラザカ・チャオ博士は、アガルタの自室でタブレット端末を見ている。ニュースサイトに気になる記事があるのだ。
 また、バールをターゲットにした「殺人事件」が起こったのだ。被害者は、連邦政府の管理下にある研究機関であるアガルタで生まれたバールではない。
「民間企業製のバールか…」
 被害者は、薄紫色の髪に薔薇色の目の女性型バール。彼女は、バールばかりを集めた売春組織に所属している娼婦だった。
「人造人間と言えども、自分たち人間と大差ないのに…」
 ミサトは眉をひそめた。しかし、バールたちに対して生理的な嫌悪感を抱く人間は少なからずいる。
 同性婚が合法化されている今のアヴァロン連邦でさえ、「伝統的な価値観の復権」という名目で同性婚の廃止を訴える政治団体や宗教団体があるのだ。
 そして、そいつらはバールたちの排斥をも求めている。
 かつての宇宙移民船アヴァロン号は、中立公正な価値観の移民希望者たちを優先した。しかし、それでも狭量な人間たちは次々と生まれるのだ。
 ミサトはため息をつく。
「大昔の地球の学者の研究結果。働き蟻に何割かいる『怠け蟻』を除いたら、残りの働き蟻の何割かが新たな『怠け蟻』に変わる。多分、人間社会も同じね」
 美しい蝶に嫉妬する蟻は、いくらでもいるのだ。