大人の事情

「ごめんなさい、アート」
「いや、避妊していなかった僕が悪いんだ。済まない」
「私、どうしてもこの子を産みたいのよ」
「ああ、子供に罪はないよ」
 アーサー・ユエとリジー・バーデンは、セントラルパークの近くの「隠れ家的」イタリア料理店にいた。二人は渦中の人フォースタス・チャオを待っていた。
 この二人だけではない。もう一人、ダークグレーのスーツ姿の男がいる。
 バーナード・キース・ルーシェ(Bernard Keith Loussier)。だいたい40歳前後のブルネット白人男性。マロリー法律事務所に所属する弁護士である。
 マロリー法律事務所の所長リチャード・マロリー(Richard August Malory)は、アーサーの古くからの知人であり、さらにフォースタス・チャオやランス・ファルケンバーグを子供の頃からかわいがっていた。リチャードは三兄弟の次男だが、兄ジェイソン(Jason Ethan Malory)はボクシングの元チャンピオンで、現在ボクシングジムのオーナーである。そして、弟ルドルフ(Rudolf Albert Malory)は数学者であり、アヴァロン大学理学部数学科で教鞭をとっている。
 ルーシェは、所長の代理としてアーサーたちの依頼を受けたのだ。



「なぁ、ヤンにシャンゴ。お前ら、どう思う?」
 フォースタス・マツナガは、二人の男たちに問いかける。一人は身長180cmくらいの東アジア系、もう一人は身長200cm近くの黒人の男である。
 艷やかな黒髪を後ろで一本結びにした、細身だが筋肉質の男の名はシャン・ヤン(商鞅、Shang Yang/Yang Lycurgus Shang)。その名は古代中国の秦の宰相に由来する。
 スッキリと坊主頭にした、いかつい筋肉質の巨体の男の名はシャンゴ・ジェローム(Shango Jerome)。その名はアフリカの雷神に由来する。
 二人は、ここアガルタで生まれ育ったバールであり、大統領を護衛するSPである。彼らはたまたま、休暇でアガルタに戻っていた。
「チャオ君のスキャンダルは、アスターティの歌手デビューに悪影響を及ぼす可能性がありますね」
 ヤンは生真面目に答える。
「それだけか?」
 ドクターの問いに、シャンゴは答える。
「ユエ氏のご子息のマーカス君は、しばしばゲームセンターで、ヴァーチャル格闘ゲームで遊んでいますが、あのようなゲームは軍隊や警察官の訓練に利用されるシステムの応用です。それに、かなりいら立っている様子でした」
 マツナガ博士は腕を組み、しばらくうつむいて、目を閉じた。そして、二人に命じた。
「お前たち、アーサーたちの家に行け。あそこで張り込みをするんだ。ウキタ所長には、俺から伝えておく。あの家で何かがあったら、不審者を取り押さえろ」

 ヤンとシャンゴが出ていったのと入れ違いに、一人の白衣の男が部屋に入ってきた。
「リッチー、どうした?」
 リッチー…リチャード・タヌキコウジ(Richard Gareth "Ritchie" Tanukikoji)。獣医師である彼はアガルタの実験動物棟の職員である。
「マツナガ先生、サイボーグ犬たちから色々と聞いたのですが」
「犬どもがどうした?」
「あの子らもフォースタス君…チャオ君について心配しているのですよ」
「ほほう、犬もゴシップ好きか?」
「いや、純粋に心配しているのですよ。チャオ君はここの犬たちに人気がありますから」
「そうか…」
 もうすぐ4時。今の季節ではまだまだ暗くならないが、昼に比べてだいぶ涼しくなっている。
 アガルタの実験動物棟には、サイボーグ手術によって人間並みの知能と言語能力を身に着けた動物たちがいる。彼らはバールたちと同じく、カルト団体〈ジ・オ〉の者たちに忌み嫌われている。
 そもそも〈アガルタ〉という場所自体が〈ジ・オ〉の者たちに「悪魔の住処」として忌み嫌われているのだ。
「リッチー、あいつらの問題がなければ、今夜一緒にバーに行きたかったな」
「あの…僕、下戸ですが」
「ああ、そういえばそうだったな。すまん」
 フォースタス・マツナガは窓を見渡す。西日がまぶしい。