ドクター・マツナガのお楽しみ

 アヴァロンシティの繁華街には、あちこちにカジノがある。庶民的なゲームセンターのキッチュな華やかさとは比べ物にならないくらいの、洗練された豪勢さの洪水が客たちを興奮させる。
 バニーガールたちは天然の人間もいればバールもいるが、髪や目の色だけではどちらか区別がつかない。色とりどりのバニースーツに身を包んだ美女たちは、目を輝かせて客たちに微笑みかける。
 男性スタッフたちもまた、選りすぐりの美丈夫たちが集められているが、こちらも天然の人間とバールの区別がつかない。このような場で働くバールたちは十中八九民間企業製だが、さすがに人間離れした身体改造は施されていない。
 客たちの中には身体改造済みのアウトサイダーたちもいるが、さすがにVIP向けのフロアには彼らはいない。そのようなフロアはパワーエリートたちが出入りするものだと、相場が決まっている。
「アヴァロンはバビロンだ」
 すっかりスッテンテンになった客は悪態をつく。そんな客たちを尻目に、一組の男女がカジノビルの中にあるバーに入る。

「あの坊主ラッド、何とか立ち直るかな?」
「さあ…どうかしらね?」
 フォースタス・マツナガは、巨大カジノの中にあるバーでミヨン・ヴィスコンティと語らっていた。彼自身はカジノで賭け事はしない。彼が言うには「運と根性の無駄遣いはするな。いざという時に在庫切れだとまずいからだ」。いかにも彼らしい発言である。
「まあ、それよりもあの娘の方が心配か」
 アスターティは、何事もなかったかのように、仕事と学業の両立を果たしている。彼女の楽曲は、インターネット配信だけでなく、アナログレコードやコンパクトディスクという形態でも発売されている。この時代においては、そのような超古典的なアイテムが一部の好事家たちに好まれているのだ。
 それもまた、「伝統文化」の維持。彼女の写真集は、電子書籍だけでなく、紙の本としても発売されている。
 屋外広告を飾る、プラチナブロンドの髪と空色の目の美少女。彼女は、男性たちだけでなく、女性たちからもファッションリーダーとしても支持されている。いや、むしろ女性ファンの方が多いかもしれない。
 楽園から生まれた「美神ミューズ」。しかし、この女神は悩んでいる。
「ねえ、フォースタス。何かいい案はないかしら?」
「いい案?」
「あの子のステップアップだけでなくて、あの二人を仲直りさせる方法よ」
 こんなところに、フォースタス・チャオの話題が出た。あの屈託だらけの青年が一番の問題であり、キーパーソンだ。
「あいつ、一部で話題になっている劇団で下働きしているだろう? そいつらと連絡は取れないか?」

 カジノの外では身体改造のアウトサイダーたちが騒いでいる。中には〈飾り窓〉ゾーンからバールの娼婦や男娼を連れて来ている者たちもいる。色々な意味で若気の至り。そいつらが他のチンピラ連中と因縁をつけ合う。この「バビロン」では、そんな場面は名物だ。野次馬連中がバシバシと写真を撮りまくるが、そんな連中はチンピラ連中の逆鱗に触れてえらい目に遭う。
 ちょうどそこにテレビ局の取材班が来た。例の「アヴァロン警察24時」のスタッフたちだ。

「何だ?」
「テレビ局の取材班ね」
「警察24時とかか?」
 フォースタスは眉をひそめる。彼はあの手の番組が少し苦手だった。
「それじゃあ、私、そろそろ帰るね」
「ああ、気をつけて帰りな」
 ミヨンはバーを出たが、フォースタスはカクテルをもう一つ注文した。この男はいわゆる「ザル」だった。そこに新客が来た。年格好は二十代後半。見るからに才色兼備であるのが分かるいい女だ。
「こんばんは、ドクター」
「お前、ジェリーか?」
「隣、いい?」



「フォースタス、あなたに逢いたい」
 アスターティ・フォーチュンは一人、自室で物思いにふけっていた。
 フォースタス・チャオ。
 子供の頃から恋焦がれていたひと。彼と彼女が婚約したのは、研究機関〈アガルタ〉の計画に基づく「実験」だが、彼女にとっては、そんな事などどうでも良かった。
 彼女がまだ幼いうちは、フォースタスは優しく接してくれた。しかし、フォースタスは徐々に彼女と距離を置くようになった。
 他に好きになった異性がいたから。もちろん、フォースタスはアスターティに何も言わなかったが、アスターティは他の「女」の影を感じていた。
「私がフォースタスを好きなのは、計画なんて関係ない。ただ単に、あの人が好きなだけ」
 もう16歳。いや、まだ16歳。このもどかしさ。彼女はますますいらだった。
 ただ、不幸中の幸いは、彼女が最愛の男との関係以外に生き甲斐を持っている事だ。他のバールたちが私欲抜きで縁の下の力持ちの仕事をしているのとは対照的に、アスターティは自分がやりたい事を仕事にしている。
 他の人造人間たちには許されない生き方を、彼女には認められている。しかし、彼女の正体は、世間ではトップシークレットである。
「確かにあんなひどい事はあったけど、私はあの人を嫌いになれないし、なりたくない」
 アスターティは、部屋の灯りを消し、布団に潜り込んだ。せめて、夢の中では最愛の人に逢いたいのだ。



 フォースタス・マツナガは、ミヨンが帰ってからもバーにいた。彼の隣には、艷やかな銀髪の若い美女がいた。
 ジェラルディン・ゲイナー(Geraldine Rose "Jerrie" Gaynor)。アヴァロン市内の病院に勤務する内科医である。彼女はロックバンド〈フローピンク・アップルズ(Fluopink Apples)〉のリーダー、マリリン・ゲイナー(Marilyn Lily Gaynor)の姉であり、アスターティの友人フォースティン・ゲイナーの姉でもある。
 フォースタス・マツナガは彼女の両親の古くからの知人だった。ゲイナー姉妹の両親もまた医師であり、今は自分たちのクリニックを開業しているが、いずれは長女ジェラルディンにクリニックを任せようと考えているらしい。
「男も女も、なかなか初恋相手の呪縛から自由になれないもんだな」
「あら、私は初恋相手の顔なんて忘れたわ」
「ほほう、現実主義か?」
 フォースタスは、ジェラルディンをからかうように言った。ジェラルディンは言う。
「過去はあくまでも過去よ。後ろを振り返るばかりじゃ、前に進めないじゃないの?」
「ふふ…。まあ、いいさ。続きはホテルで話そうか」
「そうね」
 女は、不敵に微笑んだ。