僕が僕であるために ―私的・尾崎豊論―

 4月25日は尾崎豊氏の命日である。1992年に26歳の若さで亡くなった尾崎さんだが、尾崎さんの死は色々と謎である。面識のない家の敷地内に倒れているのを発見されたし、死因をめぐっての謎もあった。ウィキペディアの記事を見ると最後の言葉が「僕、本当に勝てるかな」だったとされるが、果たして、尾崎さんは一体誰と「勝負」していたのだろうか?
 80年代は「軽薄短小」という言葉に象徴されるように、良くも悪くも「明るい」時代だった。しかし、光あるところには影がある。当時の「ネアカファシズム」「根暗魔女狩り」に反発する人たちは少なからずいただろう。そんな人たちの一部が、尾崎さんの真摯さを愛していたのではないかと思う。シンガーソングライター尾崎豊とは、80年代の軽薄ミーハー文化へのアンチテーゼだった。

 ただ、私は生前から尾崎さんに対して「いわゆる音楽好きではなさそうだな」と思っていた。これは、当時様々な音楽ジャンルに挑戦していた他のミュージシャンたち(例えばスティングなど)と比べた上での印象なのだが、尾崎さんはミュージシャンとして「貪欲」ではないと思えた。まあ、「うちはラーメン屋だから、他のメニューは出さない」という事なのだろう。尾崎さんはあくまでもメッセージ性のある歌詞が最大の売り物であって、音楽的な「唯美主義」ではない。それに、多彩な音楽性を楽しみたいなら、他の様々なミュージシャンの楽曲を聴けば良い。
 もし仮に尾崎さんが今も健在だったら、おそらくは辻仁成氏や町田康氏のように作家に転身していた可能性が高い。尾崎さんは「ミュージシャン」としての自分の限界に悩んでいたのだろうと思うが、文筆業への進出は新たな可能性をもたらしたかもしれないのだ。

 真面目過ぎて、潔癖過ぎたがゆえに生き急ぎ、死に急いだ人。私は尾崎さんに対してそんな印象がある。