ロック版『史記』

 まずは、『史記』そのものについてザックリ説明する。「史聖」司馬遷の手による中国の「正史」のトップバッターは、歴代帝王の伝記である「本紀」、諸侯たちの伝記である「世家」、その他大勢(失敬)の伝記である「列伝」などによって構成されている。
 それで、私は思った。
 もし仮にロック版『史記』を作るとすれば、「本紀」クラスのミュージシャンは少なくとも、エルヴィス・プレスリー、ビートルズ、ローリング・ストーンズの3組がいる。これに反論する人は、おそらく少ない。
 「世家」クラスのミュージシャンは、こりゃ難しい。私が好きなクイーンは少なくとも「世家」クラスだと思うが、「世家以上、本紀未満」とも言えそうな気がする。それを言うなら、「列伝以上、世家未満」のアーティストたちも何組かいるのだろうが。

 マイケル・ジャクソンは、通常は「ロックミュージシャン」とは見なされていない。しかし、生前のマイケルは色々なロックスターたちと共演しているし、「ロックの殿堂」入りを果たしている。それゆえ、本家『史記』の「孔子世家」に相当するパートとして「マイケル・ジャクソン世家」を入れるべきだろう。
 マドンナも音楽性自体は「ロック」には分類されていないが、そのエンターテインメント界での重要性と言い、マイケルと同じく「ロックの殿堂」入りを果たしている事からして、「世家」クラスのスターだと言って良いだろう。それに、少なくとも若い頃のこの人の姿勢は、下手なロックミュージシャンよりもよっぽど「ロック」だったし。

 問題はレディー・ガガだ。この人は将来はマドンナ同様「世家」クラスになるだろうかと期待していたのだが、どうも「失速した」印象がある。それに、この人の人気はマドンナ以上にゴシップに頼る面が大きい。マドンナファンの知識人から「アイディアのリサイクル」だと批判された。なるほど、「楽毅のなり損ない」である淮陰侯韓信みたいなものか?
 結局ガガは「列伝」止まりで終わりそうな気がする。しょせん、韓信は楽毅ではないのだ。しかし、私は「楽毅になれなかった」韓信に対して愛着があるし、ガガに対する期待を捨てきれない。
 ロックミュージックは、現代史を語るに欠かせない音楽ジャンルだと思う。私は誰かが実際にロック版『史記』を書いてくれるのを期待している。