血まみれの王者 ―バーナード・コーンウェル『小説アーサー王物語』シリーズ―

 いわゆる「三国志」を題材にしたフィクションは、大きく分けて「正史寄り」と「演義寄り」の二通りある。吉川英治や横山光輝の『三国志』は「演義寄り」の代表格であり、陳舜臣『秘本三国志』や王欣太『蒼天航路』は「正史寄り」の代表格だ。この場合、演義の女性キャラクターの代表格である貂蝉の存在はこの分類の基準にはならない。正史寄りの三国志フィクションにも貂蝉が出てくるものがあるからだ。それに、正史『三国志』には少なくとも二、三名は貂蝉のモデルになった女性たちがいるのだ(他にモデルを求めるならば、春秋時代の西施もいるだろう)。
 そんな分類をアーサー王伝説を題材にしたフィクションにも当てはめるならば、T.H.ホワイトの『永遠の王』が「演義寄り」に相当する。なぜなら、ホワイト版は「アーサー王伝説の三国志演義」であるトマス・マロリー『アーサー王の死』を元にしているからだ。しかし、アーサー王伝説の元ネタの一つである『ブリタニア列王史』は正史『三国志』とは違って「マトモな歴史書」ではないから、マロリーから外れたアーサー王ものを「正史寄り」三国志フィクションに例えるのは違和感があるかもしれない。

 バーナード・コーンウェルの『小説アーサー王物語(The Warlord Chronicles)』三部作(原書房)は、三国志フィクションに置き換えるならば明らかに「正史系」フィクションに近い内容である。もちろん、『ブリタニア列王史』は真っ当な歴史書ではないので、こう例えるのは不適切だろう。それに、古い伝説の要素をたっぷりと含んでいる。一応は、マロリー版の要素もある程度は含んでいるが、ホワイト版をあくまでもマロリーの再話とするならば、こちらはより「歴史的な」内容になっている。とは言え、当時の史実は中世暗黒時代を経て曖昧になっているので、厳密に言えば「文学的価値の高い仮想歴史小説」という事になる。

 このシリーズは『エクスカリバーの宝剣(The Winter King)』、『神の敵アーサー(Enemy of God)』、そして『エクスカリバー 最後の閃光(Excalibur)』から成るが、語り手はアーサー自身ではなく、アーサーに仕える武将ダーヴェル・カダーンである。彼は大昔のウェールズにいたキリスト教の聖人がモデルらしいが、他にはガーウェイン、ベディヴィア、パーシヴァルなどの要素が入っている(ちなみにガーウェインの名を持つ人物は二人登場するが、重要な方のガーウェインは異教徒版ギャラハッドであり、ギャラハッドという名の人物はランスロットの息子ではなく異母弟である)。このシリーズはマロリー版などの材料を自由自在に料理しているが、その再構成の仕方は実に見事だ。かなり偶像破壊的な要素が強いが(例えばランスロットのキャラクター設定)、ここまでぶっ飛んでくれるのはむしろ爽快だ。
 アーサー王伝説は基本的にブリトン人側の英雄の物語だが、語り手ダーヴェルは元々サクソン人だった。そのサクソン人だった彼が「将軍」アーサーを主君として敬愛するのは、サクソン人の子孫である現代のイギリス人がアーサーを「過去と未来の王」として敬愛しているのと似たようなものだろう。それを示すためにこそ、ダーヴェルはサクソン人として設定されたのではなかろうか?
 このシリーズはアーサー王伝説初心者にはオススメ出来ない。先にローズマリー・サトクリフのアーサー王三部作を読んで予備知識を得てから読んだ方が良い。このシリーズは、ある程度基礎知識を得てから読むべき応用編なのだ。