果てなく続くストーリー ―永野護『ファイブスター物語』―

 今月もニュータイプ誌を手に入れた。もちろん、最初に読むのは「あれ」。早速読んでみる。あれ? またしても反則!
 私は十代の頃からそんな日々を過ごしている。その物語の生みの親は気まぐれだ。まるで神様みたいに。そもそも「神」というものはあくまでも「気まぐれな芸術家」であって、人間の都合で「公正な政治家」の姿勢やイメージを求めるのは、肉屋で野菜を求めるような的外れなものだ。
 この物語の生みの親は、その物語における「神」に他ならない。

 永野護氏の漫画『ファイブスター物語』(以下、FSS)は、1986年からニュータイプ誌に連載されているSF漫画である。途中、何度か休載しているので、連載されている年月の割には単行本の冊数が少ない。スローフードならぬ「スローコミック」だ。その点も含めて、色々な意味でジャンプ系漫画をはじめとする「ファーストコミック」と対極にある。
 FSSの舞台は「ジョーカー太陽星団」と呼ばれる架空の宇宙であり、「騎士」と呼ばれる特殊な戦闘能力を持つ人間と「ファティマ」と呼ばれる歩くコンピューターと呼ぶべき頭脳を持つ人造人間がモーターヘッド(MH)並びにゴティックメード(GTM)と呼ばれる巨大ロボット兵器を駆って戦う世界である。この漫画はそんなSF的な要素だけでなく、異世界ファンタジーや仮想歴史戦記などの要素も持っている。
 この漫画は二種類の単行本(加筆修正した「無印」とほぼ雑誌掲載時のままの「リブート」)の他に、いくつもの設定資料集が出ているが、この辺のややこしさからして読者をふるいにかける。そもそも、作者自体が「信頼出来ない語り手」だ。永野氏はさんざん読者を煙に巻いては裏の裏の裏をかく。この作者の気まぐれに振り回されて脱落した読者は少なくない。2013年以降の大々的な設定変更によって、この漫画や永野氏を見限った読者は、捨て台詞を吐いて去って行った。

 しかし、だ。「訓練された読者」はあくまでも永野街道をついて行く。今さらファンなんてやめられない。私はしばらくはFSSの次に好きな漫画は王欣太キングゴンタ氏の『蒼天航路』だったが、今はよしながふみ氏の『大奥』がそのポジションだ。そして、仮にこれからもFSSの次に好きな漫画が代わっていっても、FSS自体が最愛の漫画である事には変わりないだろう。