「極悪パーシヴァル」呉起

 私はトマス・マロリー『アーサー王の死』のパーシヴァルの話を読んで、色々な女性キャラクターたちがパーシヴァルに絡みつく様子から、ある人物を連想する。当記事はその人物について説明する。

 中国史関係の言葉に「孫呉の兵法」というのがあるが、これは三国志の呉ではない。「孫」は「孫子」こと孫武もしくは孫臏そん ぴんだが、「呉」は戦国七雄の魏に仕えた兵法家「呉子」こと呉起を意味する。この呉起が当記事の主人公だ。
 呉起は小国・衛の出身だった。彼は孔子の弟子・曾子こと曾参に弟子入りしたとされるが、時代的に曾参本人ではなくその息子に師事したらしい。呉起は小国・魯(衛と同じく由緒ある国)に仕えたが、その魯が大国・斉と戦争する事になったので、魯の君主は呉起を将軍に任命しようとした。しかし、呉起は斉出身の女性を妻にしていたので、色々と疑われる。それで思い切って妻を殺し、将軍に任命されて斉軍を破った(ただし、単に離婚しただけという説もある)。
 そんな彼を非難する者たちがいる。ここで「女」がターニングポイントとなる。
「あれは昔、仕官に失敗して破産した。それで、自分を馬鹿にした連中を30人もぶっ殺した。あいつは母親と別れて『宰相になるまでは国に帰らない』と誓って出奔した。曾子に師事してから母親が死んだが、それでも国に帰らないので破門された。あんなろくでなしを重用するのは衛国に対して申し訳が立たない」
 要するに、「あんな親不孝者の『極悪パーシヴァル』には聖杯の騎士になる資格がありません!」というのだ。またしても「女」がターニングポイントだ。

 呉起は魯を去り、魏の文侯に仕えたが、宰相の李克は彼をこう評した。
「あれは貪欲で好色ですが、兵法は春秋時代の斉の司馬穰苴しば じょうしょ以上ですよ」
(ただし、「好色」は「好名」、すなわち「名誉欲が強い」の誤記だという異説があるらしい。呉起だけに誤記か…)
 呉起は秦を攻めて城を五つ落とした。彼は最下級の士卒と衣食を共にし、自らの兵糧を担い、士卒たちと労苦を共にするという清廉な姿勢で人望を得た。ある兵士が腫れ物に苦しんでいると、呉起はその兵士の腫れ物から膿を吸い取った。これでますます彼の人気が高まったが、ここでまた「女」が出てくる。

「あんたのせがれは一介の兵士だろう。それを将軍自ら腫れ物の膿を吸い取ってくれたのに、なぜ悲しむ?」
「あの子の父親も呉将軍に膿を吸い取ってもらいましたが、それに感激して敵に後ろを見せずに戦死しました。私はあの子も父親と同じように戦死しそうなのが悲しいのです」

 文侯が死に、息子の武侯があとを継いだが、呉起に嫉妬する重臣の一人が彼を陥れようとした。その重臣・公叔は主君に提案する。またしても「女」だ。
「呉起に公主(王女)様を降嫁させてはいかがですか?」
 公叔は呉起を家に招待するが、実は公叔はこの国の公主(縁談の公主の姉か叔母か?)を妻にしていた。呉起はこの夫婦の恐妻家ぶり(実は演技)に辟易して、後に公主との縁談を断り、さらに楚に亡命した。そして、楚王から宰相に任命されて政治手腕を発揮したが、ここでも嫉妬深い凡人たちを敵に回した。彼は楚王の死後、敵どもに殺されたが、彼は楚王の遺体にしがみついたまま矢でハリネズミ状態になっていた。
 新しい楚王は呉起ごと前楚王の遺体を傷つけた者たちを粛清したが、それに連座して滅ぼされた一族は70家以上いたという。

 うーん、こりゃパーシヴァルというよりもむしろファウスト的ヒーロー(もしくはアンチヒーロー)だよね。そんな呉起の後輩として「暴風宰相」商鞅がいたのだが、いずれは彼についての記事も書くつもりだ。
 私が思うに、『史記』の呉起列伝は「女」が主人公に対して重要な役割を持つ辺りがゲーテの『ファウスト』の雛形のようなものだ。さらに、呉起と女性たちとの関係は日本の戦国大名・宇喜多直家をも連想させる。