君子のお人形

 三国志の群雄の一人に劉虞という人がいた。この人は後漢王室の遠い親戚のセレブだったのだが、質素倹約で自分が身に着けるもの(冠など)が破れても穴を繕って使い続けたので、世間での評判が良かったらしい。
 しかし、劉虞は劉備の先輩公孫瓚(正史『三国志』の普及によってすっかり評判がズタボロになっちゃったお方)と争い、殺された。そして、劉虞の屋敷に公孫瓚軍のガサ入れがあったのだが、劉虞の妻妾たちは高級ブランド品に身を包んでオシャレしていた。それで、世間の人々は生前の劉虞の倹約ぶりを「偽善だったんじゃないの?」と疑ったそうな。

 しかし、人形オタクの私は思う。劉虞自身の身なりと彼が愛でていた女性たちの身なりのギャップとは、単なる「偽善」だったとは限らないのではないのか? ズバリ、人形オタクが自らの身なりにはさほど金をかけなくても、自分が愛でるお人形には精一杯オシャレをさせたいと思う親心のような愛着だった可能性があるのではないだろうかと、私は思うのだ。

 まあ、私自身、自分には諸般の事情により着られないアイテムを代わりにお人形に着てもらうというのがある。そもそも人形オタクにとって人形とは理想主義の象徴だ。自らが果たせない「憧れ」を託すためにこそ、人形は存在する。
 話は前述の劉虞に戻すが、少なからぬ人形オタクは大なり小なり「ミニ劉虞」ではないかと思う。自分自身のオシャレよりも愛するお人形のオシャレの方が大事。劉虞の「倹約」の裏にはそんな事情があったのかもしれないのだ。