Queen of Dolls

 私は何年か前に、札幌市内のトイザらスに行ってみた。目的はお人形関係の買い物だ。そして私はそのコーナーに行ってみたが、先客の小さい女の子がこう叫んでいた。
「ママの好きなバービーだ!」
 これは我が国におけるバービー事情を表している。現在の日本においてバービーとは、ズバリ大人の人形ファン向けのお人形なのだ。おそらくはマテル社の人たちもそう割り切っているだろう。例えばフル可動素体を使っているシリーズなどは、人形撮影を趣味にしている大人の人形ファンを意識しているのではないかと思う。

 バービーには意外なルーツがある。マテル社の創業者がドイツに旅行した際に「ビルト・リリ」という名前の美女人形を見かけたのだが、このリリとは女の子向けの人形ではなく、成人男性が車のダッシュボードに飾るものだった。つまりは、現在の日本のオタク文化における美少女フィギュアのような「萌え」アイテムだったのだ。それを女の子向けに「一般化」したのがバービーなのだ。精神科医の斎藤環氏は「男性は所有原理が強く、女性は関係原理が強い」と定義したが、男性向けの美少女フィギュアにまとわりつく「所有原理」を切り捨てて、代わりに「関係原理」の衣装を着せたのがバービーや後続の着せ替え人形たちなのだ。
 バービーには妹たちやボーイフレンドの「ケン」や何人かの女友達がいる。単なる「美女」の外見だけでなく、他者との関係性を織り込んだ「遊び」を想定している。そして、それこそが男性の美少女フィギュア好きとの大きな違いだ。男性向けの美少女フィギュアはあくまでも所有原理を満たすための「もの」だ。しかし、女性や女の子向けの人形とは関係性のシミュレーションのための「鏡」なのだ。小さな女の子であれ、大人の人形ファンであれ、人形を「触媒」にして自分なりの「物語」を思い浮かべる人は少なからずいるだろう。人形たちは「世界劇場」の役者なのだ。

 日本においてはバービーはあくまでも単なる着せ替え人形でしかない。しかし、欧米では単なる着せ替え人形以上の存在だ。例えば、その人間離れしたプロポーションは物議をかもし出したし、肌の色についても常に問題になる(ただ、人形の肌の色の「偏り」は日本のドール業界の方がよっぽど深刻だ)。明らかに大人の人形ファンを対象にした限定品にタトゥープリントがされているのが非難されたりもする。日本のリカちゃんやジェニーはここまで世間一般で物議をかもし出す事態はない。リカちゃんやジェニーはあくまでも「女の子の世界」のものであり、世間一般に大きな影響を及ぼす事態はほとんどない。しかし、バービーは単なる着せ替え人形の枠組みを超えた存在である。まさしくバービーだからこそなのだ。バービーとはアメリカ大衆文化を象徴する「女神」の偶像であり、世相を反映する鏡なのだ。